中居正広と稲垣吾郎の復興への思い、5人の呼びかけに広がるファンの行動 | ハート・サウンド♪

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キスマイ 藤ヶ谷太輔君 ( v^-゜)♪
仮面ティーチャーでふぁんになりました。(。-_-。)

中居正広と稲垣吾郎の復興への思い、5人の呼びかけに広がるファンの行動

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170314-00000006-ykf-ent

 

9日放送のラジオ番組「編集長 稲垣吾郎」(文化放送)で、パーソナリティーの稲垣吾郎(43)が発生から6年が経過した東日本大震災の話題について触れた。

この日、宮城県・山元町の「つばめの杜」街づくり協議会の齋藤敏次会長に電話でインタビューした稲垣。つばめの杜とは、震災前、内陸側にできた新山下駅の周辺市街地の名前で、公募によりこう名付けられた。町のシンボルとして親しまれてきたつばめが巣に戻ってくる習性などが込められており、子育て世代が住みやすい新しい街づくりが着々と進められているという。2016年12月、JR常磐線の仙台駅と福島県南相馬市をつなぐ浜吉田駅~相馬駅間の運転が再開し、沿線住民となる同町の通勤通学の足も復旧した。

相馬市といえば、15年に中居正広(44)がプライベートでKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔(29)らを連れて旅行に行った場所のひとつ。1995年の阪神大震災後の「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)で「がんばりましょう」を歌ってからのSMAPのメンバーが、バラエティーのコントやトークで笑わせ、ライブパフォーマンスでしっかりキメながらも、同時にアイドルの社会的役割に自覚的になっていったのは周知のところだ。

しかし、東日本大震災から5年が経過した16年、毎週新規収録で復興支援を訴えてきた唯一の番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)が終了。さらに12年以降、司会の中居が「復興に区切りというものはないから、できるなら来年も続けたい」と、毎年3月に“震災から○年”と銘打って続いけてきたNHKの「“明日へ”コンサート」も、16年「また来年、東北で!」という挨拶で終わった。17年は「昨年の5回でひと区切りとして」というNHKの見解のもと、開催は見送られた(16年のこの番組は、スマスマ最終回を除いて16年のSMAPが唯一自分たちSMAPの曲を歌えた番組でもあった)。

しかし5人の思いを受け継いだ人々は今も「SMAP×SMAP」の放送時間だった毎週月曜午後10時になると「#スマスマ」「#震災復興」「#義援金にご協力お願いします」「#SMAP」「#復興に向けて手を繋ごう」などの彼らにちなんだハッシュタグで復興支援をSNSで呼びかけている。そればかりか、被災地の今の様子や特産品を写真付きでツイートして情報を共有するなど、インタラクティブな要素を帯びてきている。

16年末に話題になったファンによるクラウドファンディングの新聞8面広告も、「今後も震災復興支援を続けていく」というSMAPの呼びかけに応じたファンの宣言であった。また社会的活動という面では、SMAPがサポーターを務めていたパラリンピックで、12日に開催された「パラ駅伝 in TOKYO 2017」に多くのSMAPファンがボランティアスタッフとして参加するなど、社会全体や未来を見据えた活動が行われている。

これらについて稲垣はラジオで「ありがたいことですよね。そういう思いっていうのは僕も何も…変わってはいないんですけど、でも当時できることと、今僕ができることっていうのはまたちょっと内容というか…気持ちは一緒でもやれることっていうのは違ってきちゃうこともあると思うんですけれども」と述べ、やんわりと17年以降の立場の違いに言及した。

そして「ただまぁそうやって本当に、ファンの方々が1人でやるより2人、2人よりも3人と、ほんと大勢の人々が力になるっていうのはやっぱり大きいですし、1日でも、もっともっと早く、皆さんが笑顔でいられるような、そんな復興支援の呼びかけというものを一丸となってしていけたらいいなと思います」とコメント。震災直後に発売されたSMAP唯一の配信限定シングル「not alone ~幸せになろうよ~」をオンエアした。

電話で「一日も早い復興というものを“僕ら”も願っておりますので。頑張っていきましょう」と語り掛けていた通り、ここには中居だけでなく、木村拓哉(44)、草なぎ剛(42)、香取慎吾(40)も含まれているのだろう。サラッと複数形にするさり気なさに、彼らの復興に向けた思いの強さが表れている。