2月4日(土) ヒッチハイク5日目。
2日間お世話になっていたトヨタ自動車に勤める友達にお願いして、
愛知県にある、阿久比パーキングエリアまで車で送ってもらった。
彼が乗っていたのはもちろんトヨタの車でした。
今日は愛知県東岡崎市に住む、大学時代の友達に泊めてもらうことになっていた。
彼は中学校で先生をしていて、英語を教えつつ、バレー部の顧問をしていた。
土曜だったけど部活の試合があり、待ち合わせ時間が19時だった。
それまでに時間があったので、池田千晶『ヒッチハイク女子』という本のおススメ観光スポットに出ていた愛知県の常滑(とこなめ)というところを観光することにした。
阿久比パーキングエリアの休憩所でフェイスブックをいじった後、午後12時を少し過ぎてヒッチハイク開始。
たまたま営業中の会社員のお兄さんに拾われて、常滑駅まで行きたい旨を伝えると、
「途中まで良いです」と言ったにも関わらず、「近いし時間がある」からって常滑駅まで連れて行ってくださった。
降ろしてくれたあと、「頑張ってね」と温かいお茶をおごってくださいました。
一日観光するのにスーツケースが邪魔になると思って、駅に預けた。
400円かかった。
あと、そういえば2日前、ダイソーでお香を買った。ヒッチハイクで乗せてくれた人にあげようと思った。
それが確か700円分位だったので、残金約4000円。
「やきもの散歩道」という所を歩いた。
常滑は陶芸品で有名な町。
焼いたお皿やコップ、ゆのみ、つぼなどを売って生計を立てている方がたくさんいらっしゃった。
一つ一つ手作りで作ってあるので、同じカタチをしていても微妙に違う。
手作りなので、一口にお皿といっても、温かみが感じられた。
やきもの散歩道のコースの中にある、とあるお店に入った。
お皿や箸置きなどが売られてあった。
薄ピンクを基調とした花柄のお皿がたくさんあって、見入ってしまった。
めっちゃ可愛くて、気に入って、欲しくなった。
手作りということもあり、お皿1枚800円、高い物になると数千円した。
「お金持ちになって、お皿を買いに、もう一度常滑に来よう。」
そう決意した。
2階もあった。上の階は、蓮の花を使ったアクセサリーや、常滑のり、自然食品を使ったお菓子などが売られていた。
店員さんは40代中盤のお母さんだった。
「どこから来られたんですか?」
「ヒッチハイクで東京から来ました」
「えー!?!?そうなの??」
お母さんも若い頃、ヒッチハイクで京都を回ったそうだ。
女3人で京都旅行に出かけ、バス代を浮かすためにヒッチハイクしていたとのこと。
「ヒッチハイク」という共通の話で盛り上がり、お互いの連絡先を交換した。
私が1万円でヒッチハイクをするという貧乏旅であると話しているにも関わらず、お母さんは私に商品の営業を止めなかった。ガンガンお店にある、めずらしいアクセサリーや健康食品を勧めてきた。
「1万円って言ってるのに・・・・」
私もお母さんの熱い営業トークに圧倒され、思わず常滑のりを1つ買ってしまった。
チーン・・・
残金約3500円。
また来るときは連絡して、と言ってくれ、写真を撮って店を後にした。
そのあと、いくつかの陶芸品のお店を周り、写真を撮った。
昼ご飯は、お腹がすいていなかったので食べなかった。
「やきもの散歩道」を歩き終える頃には16時半を回っていた。
そろそろ東岡崎に向けてヒッチハイクしようと思った。
東岡崎は常滑から車で約1時間半。
乗せてくれる車を待つ時間を考えればちょうど良いかな、と思った。
とりあえず駅に戻り、荷物を取って、ヒッチハイク開始。
常滑方面と思われる車線で、「名古屋」と紙に書いて待っていた。
常滑から東岡崎に行くには、一発でいけないと思って、とりあえず常滑を北に行けば地図上には「名古屋市」だったので、「名古屋やったら誰か行く人おるやろう」っていう安易な発想で名古屋にしてみた。
15分経ってもいっこうに止まってくれない。
そして寒い!!!!
場所変えた方が良いかな-?と考えていたところに、あるお兄さんに声をかけられた。
「名古屋に行く人は少ないですよ。」
私が立っていた場所の真後ろに、フレンチバーがあり、その店長さんが仕込みをしていた。
店に入る前にちらっと私が見えたらしく、車がつかまらないのを見て、教えてくれた。
「えー!?!?じゃあどこ方面って書けば良いですかね?」
「まぁ、寒いから中に入り。」
そういって、店に入れてもらい、温かいウーロン茶を出してくれました。
今までのヒッチハイクの話と、これから東岡崎に行きたいことを伝えると、
「この近くに常滑市陶磁器会館っていう所があって、そこだったら名古屋方面にもどる人を捕まえられるかもね。5時に閉まっちゃうから早く行かないと。」
時間はもう5時前で、ダッシュで陶磁器会館の駐車場に向かい、ヒッチハイク開始。
運良く、阿久比方面に向かう50代のお母さんにOKをもらい、乗せてってもらうことに。
フレンチバーに走ってもどり、店長さんにお礼を言って写真を撮り、荷物を持って陶磁器会館で待ってくださっているお母さんの元へ。
重度の障害を持つ娘さんのお母さんで、大学生がボランティアで娘さんの通う学校に定期的に訪問し、一緒に遊んでくれるそうです。
その大学生にお礼がしたくて、常滑を案内するために、今日は下見に来たそうでした。
お母さんは普段車に乗らないそうで、道に詳しくなく、どこに降ろせば良いのかあんまりわからないみたいだった。
私が「この辺で大丈夫です」と言って、お母さんの家の近くで降ろしてもらった。
車で10分くらいの距離だったので、あんまり進めず。
降ろしてもらった場所が、
車、
田んぼ、
畑、
以上。
何もない。
日が沈む。
寒い!!!
早く次の車に乗せてもらわないと、凍えてしまう・・・・
身の危険を感じながら、フレンチバーのお兄さんに「三河」なら行く人が多いと思う。っていわれてたので、「三河」と書いて道路で立っていた。
三河まで行って東岡崎まで乗り継ごうと思った。
今まで基本的に、駐車場やパーキングエリアで声をかけて乗せてもらうスタイルを取っていた。
乗せてもらう立場ではあるが自分で人を選んで、この人なら大丈夫そう、という人に声をかけていた。
あと、声までかけると、答えはイエスかノーなので、方向が一緒であればほぼ100%乗せてもらえた。
断られる理由としては、方向が違う、人が多くて乗せられない、がほとんどであった。
まれに、「責任が取れないから」「旅行中なので」と言われた。
なので、まだ紙に行き先を紙に書いて立つヒッチハイクをした経験はなかった。
でも、その道は車が走っているだけで駐車場がない。
立って、止まってくれる車をただただ待つだけであった。
「ほんまに止まってくれるんかなぁ・・・」
不安の中、待つこと15分。
青い乗用車が一台私の目の前で止まってくれた。
人が出てくるとか、窓が開くとか、何もなかったので、私のために止まってくれたのかよくわからなかった。
ドアを開けて
「乗っても良いですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます!!!]
見た目がめっちゃオタクっぽくて、実は乗ることを拒否しようか迷った。
変なところに連れてかれるんちゃうか?っていう不安が一瞬よぎった。
でも、止まってくれたのでとりあえず乗ることに。
「三河って書いてますが、実は私、東岡崎駅まで行きたいんです。」
車の溶接工場に勤める21歳の男の子。
地元の方で髪の毛を切って帰る道中であった。
東岡崎は彼の家から全く逆方向であるにも関わらず、快く連れてってくださった。
さっき、彼を疑ったことを後悔。
車をいじることとパソコンをいじることが趣味らしく、
車の話をたくさんしてくれた。
高速をつかって1時間かけて東岡崎まで乗せてってくださり、帰りに「何かの縁なので」ということで連絡先を交換した。
何度も頭を下げてお礼を言って見送った。本当に親切な方やった。
実はそのあとにも続きがあった。
彼は私を気に入ってくださったみたいで、連絡先を交換した直後から毎日メールと電話が来た。
正直、困っちゃいました。笑
お礼もちゃんと言ったし、これとそれは別。
ですよね???笑
18時半東岡崎駅到着。
19時の約束にちょうど良い時間について感動。
大学時代の友達にもちゃんと会えて、駅前にある「世界の山ちゃん」に愛知県名物の手羽先と、味噌カツを食べに行った。
わざわざ会いに来てくれたからって彼がご飯をおごってくれた。
彼の家は東岡崎から2駅離れたところにあった。なのでそこまで電車で移動。
残金約3300円。
彼はバイクで来てたので駅で待ち合わせて家まで向かった。
お互いの近況報告を話した。
数日前に電話して
「会社やめてヒッチハイクするねん。会いたいから泊めて」
「はぁ??ちょっと待って。どうしたん?」
いきなりそれだけ言って日にちを調整してもらっての再開やった。
今までのヒッチハイクの話、会社を辞めた経緯、自分が人の無意識を見れる事、あれだけ仲が悪かった父親と仲良くなったことを話した。
私は彼と大学時代すごく仲が良かったので、父親のこともよく話した。
理不尽なことで怒られて、涙が止まらず寝れない時は、彼に電話して話を聞いてもらっていた。
だから私がどれだけ父親にコンプレックスをもっているのかよく知っていた。
「お父さんとの仲、そんなに変わったん?何で?信じられん。」
「自分が変わったらお父さんも変わったよ。」
お風呂を沸かしてくれ、中国で買ったジャスミン茶をおすそわけしてくれた。
香りがすごく良くて、はじめてジャスミン茶がこんなにおいしい事を知った。
泊めてくれたお礼に、彼の無意識を見てあげる事にした。
今回は彼の今感じていることと未来が見えた。
彼の心も疲れていました。
中学校で英語を教える彼はバレー部の顧問でもありました。
週5日授業があり、進学校なため朝や夕方にも補講があります。
土日は部活で一日潰れ、一人になる時間がありませんでした。
心身ともに限界がきている感じでした。
何か一つ間違えると思いっきり泣き出してしまいそうなくらい張り詰めている感じでした。
一言もしんどいとか、疲れてるとか、そういう弱音を言わなかったけれど、無意識は正直でした。
「これ以上我慢すると、うつ病になったりして、学校に行けなくなるよ。」
彼のためを思った警告でした。
「仕事量が多いのであれば、先輩に言って量を減らしてもらうなりした方が良いよ。これ以上続けるとあなたがダメになってしまう。」
実際、完全にキャパオーバーの仕事量みたいでした。
彼は家族ととても仲が良いです。でもその家族とも最近まともに連絡が取れない位忙しかったとのこと。
「本当は辛くてたまらない。でも心配させたくないから家族にも本当のこと言えないんでしょ?」
「・・・・。そうだね。」
最近、彼女とも別れた話をしてくれました。
好きじゃなくなったとかではなく、自分に精一杯になりすぎて「彼女」という存在を受け入れるスペースがなくなっただけだったと思います。
話し合って、感情が残らない良い別れ方をした、と言っていました。
彼は学校の先生は向いています。
ビジネスの世界にはあまり興味がないと思います。
将来は、海外で活躍してる感じがしました。
教育が行き届いていない所、例えば田舎の農村のようなところで、学校を建てるなどして教育を広めるようなことをするかもしれません。
あくまで、可能性の一つですが。
彼も一カ所にとどまるよりは、日本を出たいと言っていました。
わんぱくで自分の好きなことをする目がキラキラしたちびっこを見て、彼も元気をもらい、自分の使命を感じて仕事を全うする生き生きした彼の姿が見えました。
あと、彼は一生お金に困らないでしょう。お金には恵まれている感じがしました。
感謝するものは拡大していきます。学生時代にもよく、親とお金に感謝しているのを耳にしました。。
彼も「自分はお金に困らないと思う。困ったらいつもどっからか入ってくるんだよなぁ・・・」
って言ってました。
この話をし終えた後、彼は喜んでくれました。
「そこまで自分は追い詰められてたんだね。言われたとおり、少し休んでみるよ。」
彼は仕事が忙しすぎるせいで、他の友達約束を断り続けていた。
でも、私にはなんとなく会った方が良いっていう直感が働いて、わざわざ時間を作ってくれたみたいでした。
彼の無意識が言う言葉を伝える為に私は彼の家に来たのかな?
なんとなく必然の再会であった気がしました。
「東京に来るときは連絡してね。」
「うん、またいつでも遊びにおいで。」
彼には、次の日、日曜日にも関わらず、朝5時半学校集合で部活の試合がありました。
彼は一緒の時間に出るのは気の毒だと思ってくれたらしく、好きな時間まで寝てて良いよと言ってくれ、
お互い眠りにつきました。
また会えたら嬉しいな。