こんにちは。
またもやお久しぶりです。
なかなか厳しい夏ですが、
お元気でしょうか。
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わたしは
毎年、
このライオンズゲートと呼ばれる期間は
眠くて眠くて、
色んなことを諦めて
身を任せる時期です。
ペンキ画家のショーゲンさんも言ってたけれど、
諦める時間があるのはいいことだと思うので、
日々の流れるままに掴んでいたものを
一旦手放して、
リセット出来たら。
心配や、
計画や、
反省や、
あれこれ。
これ、
「死」の先に向かうときも
同じなんだろうな、と思う。
ディズニーランドを一歩出る時も
こんな感じかもね。(?)
「死」という、
肉体から出るときは
夢からまた次の夢に移る時のように、
とても不思議なほど自然に
肉体を脱いでいるような気がする。
肉体を「わたし」だと思っていた時の
いろいろな考えは
ほとんどはどうでもよくなっていると思う。
あらゆる恐れは
「肉体」を失う恐れだし、
あらゆる欲も
「肉体」ゆえのものだし、
あー、
いろいろ悩んだなー、わたし。
そんな感じで愛しく思うのだろうと思う。
勾玉の半分は見えなくて、
でも、
見える部分と見えない部分で
ひとつの玉となって
循環し続けて
エネルギーを放っているというよね。
わたしたちも同じで、
生きているときも、
そうでないときも、
同じように精一杯の自分を表現して、
循環しながら
光を放っているのだと思う。
掴んだり、
手放したりしながら。
このサイクル、
命のエネルギーの回転のようなものが、
自分の光を生み出していて、
そこでは
自分じゃないものは
外れていく。
流されるままにしたこと、
外側の社会に合わせたこと、
本音を
常識だとか計算でゆがめたこと、
嘘をついたこと、
隠したこと。
それらは
光を曇らせ、
重くなり
肉体を脱いだ時
自由に飛び回るときの
足枷になると思うから。
たとえば
自分が
今の日常から飛び出して
異国に行ったとして、
同じ行動をすることができるなら、
きっとそれは自分らしいよね。
タイムトラベルをして
違う時代に行っても、
同じ行動ができれば、
それは自分らしいよね。
旅行をすると、
自分を発見できる、というのは、
とても意味がある。
手放しやすいからかもしれない。
世の中が
どんどん変化している今は、
自分を発見できるチャンスでもある。
自分の想いを見つけて、
純度を上げていけたらいい。
それはね。
偉いことするためじゃないよ。
立派じゃなくていいの。
大事なものを失う体験をして、
大声で泣きたい、
そう思うなら、
それがあなたの光になるし、
傷つけられて、
怒る気持ちがあるのなら、
愛のために怒るあなたの光がある。
喜怒哀楽に
翻弄されるべきではないとも思うけれど、
そんな自分を
美しいものをみるように
愛でてほしいと思う。
泣くこと、
怒ることを
許されないと思うのは、
自分がそれを許していないからだもの。
あっはっは、って笑うだけが「しあわせ」でもない。
だって
オリンピック見たって
人の涙は美しいじゃない。
喜怒哀楽によって
行動に制限をかけなくていい。
いつでも
胸をはって生きればいい。
それぞれの光の周波数が、
この世界に満ちている。
それぞれが好きなように、
尊重し合いながら
楽しめたらいいよね。
ほんものの光。
お互いが響き合える光。
わたしたちは
自分と響き合う者や物、出来事と
出逢っていく。
これからもっと
はっきりと。
ほんとうの望みに向かうとき、
わたしたちは
最も純度が高く
ほんとうの自分に近づく。
リラックスして、
肩の力を抜いて、
深い呼吸をして。
五感を研ぎ澄まして。
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どんなあなたも、
ダメじゃないよ。
心からそう思うようになったから、
相談会をやめちゃったんだから。
直してあげなくちゃ、なんてところは
ひとつもないの。
病気ですら、
自分の望みの形だから。
死ですら、
夢からまた夢へ、うつるだけ。
心は自由で
誰も侵せない場所。
読んで下さり
ありがとうございました。
ご縁がありましたら、
また会いましょうね。