今日は、祖父の弟が亡くなった日であります。今から81年前、フィリピンのニールソン飛行場から飛びたった、陸軍特別攻撃隊の山本中尉率いる勤皇隊9名の護衛、擁護として任務に着いたけれど、共に亡くなってしまいました。


少年飛行兵出身でありまして、独立29飛行隊に所属していました。

何でも操縦が長けていたようで、エースみたいな立場であったと祖母が言っていました。中島戦闘機の四式戦闘機[疾風]に乗っていたようで、海軍の零戦は有名ですが、さらにそれよも高性能の戦闘機に搭乗していたとは驚きでした。アメリカ軍が実戦投入された日本の戦闘機では、No1という評価をしておりましたから。


亡くなった時の階級は曹長のようで、お亡くなってから准尉になったのでしょうか、大正10年生まれの三男で24歳でありました。

年齢と最終階級はお墓に書いてあるものを参考にました。伊豆市の資料にも同じく記録されていました。当時は、生まれた年が一歳と数えていたからなのか、一つ年齢が上がっているかもしれません。


所属部隊等は、FC2ブログの大日本者神國也さんの記事(茨城県、鉾田陸軍飛行場、鉾田陸軍飛行學校)を参考にさせてもらいました。どうもありがとうございます。


祖父は長男で、歩兵として徴兵され、日中戦争と大戦に参加し、大戦では南方軍として従軍しました。

はじめ三島市の野戦重砲兵第一旅団に居ましたが、銃剣術の大会で優勝したとかで評価が高かったので、佐賀県の大村の連隊に配属され、ビルマ、スマトラ、マレーと転戦し、今のインドネシアで終戦し、イギリス軍の捕虜となってなんとか無事に帰って来ました。

左肘に銃弾を受けて、傷痍軍人となっていました。


大正4年生まれで、、当時30さいぐらいてしょう。生きていた時は、戦争の話になると、馬鹿な戦をしたものだと言っていました。

満州、中国、ビルマ、スマトラ、マレー……よく歩いたなぁ~といっていました。最近では、先の大戦は、アジア諸国を植民地から解放したという方々がいますが、それは、結果論ではないのかと思いますが、他の多くの日本国民はどう思うでしょうかね。出征された方々は果たして何と言うでしょうか?。


もう一人弟が居まして、次男の方なのですが、こちらの方も飛行機乗りで、特攻隊員に選ばれたものの、病死で亡くなったそうです。どごでなく亡くなったのかは分かりません。お墓がありませんので、階級や年齢も分かりません。実家を出ていたのでしょう


最近になって軍歴や兵籍簿を取り寄せて知ることができるという事なので機会があれば調べてみたいと思います。


少し長くなってしまったかな。

祖父も含めて、自分もあの当時に、同じ年齢ぐらいであったのならば、どうだったかな?と考えてしまう。とても生き残っていく事もできないだろう。勇気のある事だと思います。

スピリチュアル的にいえば、魂かその時代を選んで来たということなのだろう。 

魂とはなんなんだろうと思います。

とても割り切れない。


スピリチュアルリーダー達は、幸も不幸も選んできた、計画通りと言います。

真心からそう思うのか、チャネリングメッセージを完全に納得はしないものの伝えているのだろうか。伝えている者が騙しているのか。あまり信用できない感じがします。


自分が信じている方の言う事は、神だとか、闇側の宇宙人というグループの観念等は、人類の足枷になっているだけだと言います。彼ら自身が上に行けていないのだと。彼ら自身の未来もわからずに競争しているのだとか

ある程度の失敗から学ぶという側面はあると思いますが、必要としない魂もいるはずです。


戦争は良くあるません。

今でもありますから、早く無くなると良いです。