高畑淳子さんの謝罪会見を見ました。

寝てないのでしょう。
ふらつきながらも
時間が来てもすべてに答えると
予定の倍の1時間をかけて
立ちっぱなしで丁寧に答えていました。

事件が事件だけに女性として娘を持つ親として
本当に複雑な想いであったことでしょう。

それでも逃げることなく誤魔化すことなく
誠実に対応している姿
久しぶりに心からの謝罪の姿を見たような気がします。


いつも企業の謝罪が形だけなのは論外として、
今までも様々な人が自分や家族の不祥事に
謝罪をしてきて、
なにこれ?本当に謝罪という意識があるのか
というような人もいたように思います。

pixabay

もちろん謝って済む問題ではないですが
親としての正直な想いと
誠意を尽くそうとしている会見に思えました。

それは
「息子だからではなく
娘が被害者であったらと
考えなければいけないと思いました」
という言葉にも表れています。

事件が事件だからというのはもちろんあるでしょう。

誰かと喧嘩して怪我させたというのとは
わけがちがいますし、
状況から見てつかまるのわかりきっていて
何も考えてないというのが逆に異様に思えます。

以前テレビで誰だったか本人を前にして
「コイツ本当に馬鹿だ。オカシイ」と
冗談めかして言っていたのを思い出しました。

それをみていたからか
育て方とは
別の問題のように思えます。


育て方は人に大きな影響を与えますが
生まれながらということもあるのではと思うのです。



それにしてもどうして質問する人は
自分がいかに質問するかだけで
人の話を聞いてないのでしょうか。

さっき言ったじゃんということが大すぎます。


色々な考え方はあると思いますが
胸が締め付けられるような
痛みがダイレクトに伝わってくる会見であったことは
間違いありません。


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やじるし

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