こんにちは
またまた哲学の話しです。
敷居の低い哲学ですので、お気軽にお願いします!
前回、『光と闇』で
私の結論を入れ忘れたのですが、
あえて という事で
みなさんのそれぞれの答えを思い浮かべてみて下さいね
では、今回のお題
『多様性』
「人によって意味はあるけど 意味はない」
今回もあくまで私の視点の話であって
これが答えだとも言いませんし、
押し付けるものでありません。
みなさんの考えるきっかけに使って頂けると楽しいかなという程度です。
はい、では始めます。
見方を変えれば沢山の意味がある事にもなるし、
何も思わないものには意味はない
という まぁ当たり前の話しなのですが、
例えば、
“シャワーをしめきらず、水滴がホースをつたって落ちているのを見た時”
私はいくつか思いが巡りました。
*
水滴が螺旋を描きながら落ちているのを見て、
この螺旋が意味することは…
*
規則的に落ちながら、不規則な動きを見て、
人間の人生の歩みとは…
*
水滴に映る光のコントラストを見て、
水の世界の光と闇は…
*
水滴の落ちる音を聞いて、
この旋律のエネルギーが身体に影響することは…
*
水滴が形あるものとして触れるなら、
どんな色で触ったらどのくらいの固さなのか…
*
もし、逆に上って行ったら
それはどういう事か…
くだらないと言えばくだらないのですが、
妄想を膨らませるのは楽しいですね
色んな事に思いを巡らせ楽しむと
何でも意味のある事になる
けど、水が落ちてるな だけで
何も思わないものには意味はない
という事になります。
また、別の例えをすると
“空に浮かぶ雲を見て”、
あ これはこういうメッセージがあるのかな
と思えば意味のある事になり、
雲は雲で何も思わなければ意味はない
という事になります。
ここで言いたいのは、
意味を求めなさいという事ではなく、
意味はないのが悪いこと という事でもありません。
何でもかんでも意味見いだそうとすると疲れてしまうだけです。
ただ、見方を変えると
色んな見方が生まれる
自分はスルーしていた事を
他の人の視点で見たら意味のある事もあります。
他人がスルーする事を私の世界では楽しむことで
意味があるという視点に変わる。
その色んな見方それぞれが楽しい世界で、
意味があってもなくても
多様性という世界では全て正解。
どの世界も自分が関心のある事が
苦しい世界ではなく、心地よければ良いですね✨
それすらも、どんな世界にいたいかを決めるのは自分なのかなと思います。
『多様性』 の中では、自分の基準が他の人と違っていて当たり前、
でも 他の人の考えも尊重する、
そう自然に考えられる様になると良いな
と思います。
みなさんは『多様性』を
どう考えましたか?
それでは~✴️