おはこんばんちは😊

くーみんです✨


本日は、ふらんす語の話。

と言っても、例え話です(笑)

わたし、語学まったく出来ません(笑)


さて、

私は

ひとの話というものを

ほんとうの意味で

深く聴くということが

どれだけ出来るのかなあと思います。


自分の伝えたいことを

いったいどれだけの精度で

相手に伝えることが

出来るのかなあと思います。


なぜなら、

きっと、

わたしのある言葉は、

ある人にとっては

ふらんす語だからです。


ある人のある言葉は

わたしにとって

ふらんす語だからです。


なにか話してるのは分かる。

なんとなく、こう言ってるのかなとも思う。

でも、ほんとのところ

なんとなくこんな感じかなと

脳内補正して

まったく別物になっている、

ということも

よくあると思うのです。


コミュニケーションがうまくいかない時

相手のことがよくわからない時

自分のことが相手に伝わらない時

異文化コミュニケーションなのだなと思います。


そんな時、

相手に嫌われてるとか

気が合わないとか

嫌いなんだとか

思うわけだけど、

でも、実際は

そうではない。

確かに、一度はそう思う。

いや、何度でも思うかも。

でも、
胸にどうしたいのか問いたなら、

分かってほしいとか

伝えたいとか

分かりたいとか

知りたいとか

そうでないから寂しいとか

居心地が悪いとか

そういうことの方が多かったり

するかも。


目の前の相手が

自分の思うような

大人だったり

子どもだったり

性格だったり

文化だったり

世界だったり

しないだけだから、

慣れることや

翻訳機能や

学習が必要なのかもしれない。


それは、
我慢したり、
相手に合わせるってことではなくて。


好奇心とか

興味とか

想像力とか

愛とかが原動力の行動のひとつ。



自分のふらんす語が

相手に日本語として伝わるように。

相手のふらんす語が

自分に日本語として聞こえてくるように。





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それではまた明日😊

明日も歓びど真ん中の1日になりますよ✨