8年前、40代で心臓の難病が発症した
音楽大好きROCKママ☆です
その間に
肥大型心筋症が進行して
拡張相肥大型心筋症になり
補助人工心臓の植込み手術により
未来ある新しい人生をスタートしました
「そのままでいいんじゃないの?」
何年かぶりに会えた友達に言われました
なんかショックでした
その友人に最後にしっかり会ったのは病気になる前くらい?
もちろん補助人工心臓(VAD)も入れていないころ
でも、病気になってしまい
活動していなかったことは知ってて心配してくれていました
久しぶりに会えた私は
補助人工心臓(VAD)を入れて
一見、見た目は普通に元気っぽいから
仕方ないんだろうけど…
その友人と
「元気そう」
「会えてよかった」
などなど
久しぶりに病気の前に遊んでた友人に
また会えて私もホントに嬉しかった
会話してるうちに
「移植を待ってるんだよね?」
と、聞かれ
(賛否あるので実はあまり人に言いたくないけど)
「そうなの」
と返事しました
私が補助人工心臓(VAD)を入れていて
移植待機していることを知ってくれているんだなぁ
と思いました
旦那さんと共通の友人なので
補助人工心臓(VAD)を植え込む前から
私がもうあまり動けない頃に
会ったりしてて旦那さんが話していたのかもしれない
「本人じゃないから分からない部分で
大変なことはもちろんあるとは思うけど」
「(移植しても)どうなるか分からない」
「今の元気なままで行った方がいいんじゃないの」
と言ったことを言われました
私「でもこの機械でずっと生きられるわけじゃないし、自分の心臓も弱っていくし、旦那さんも色々大変なの」
みたいなことを言ったら
「普通に生きてても事故で明日死ぬかもしれないんだし、危ないことするより今元気そうだから、このままの方がいいんじゃないの?」
みたいなことを言われました…
自分でも心のどこかで揺れていること
移植の賛否も含め
そうゆう意見は絶対あるとは思っていました
でも
ここまで来るのに
どれだけの思いで辿り着いているのか
補助人工心臓(VAD)を埋め込む選択を
どんな思いでしたのか
私と旦那さんや同じ境遇の患者さん方にしか
きっと分からない部分
しかもその時、ちょうど息子が20歳の誕生日を迎えた頃で
病気が発症した時は息子が小学生で
息子の20歳になった姿を見られないかもしれない
絶対生き延びるんだ
という強い思いで
生き延びるための選択をしたつもり
補助人工心臓(VAD)を入れて延命できて
息子が20歳になった姿を見ることができた私は
補助人工心臓(VAD)を入れてもらえたこと
生き延びられたこと
スゴく感謝していました
でも、もちろん一つの目標ではあったけど
まだまだ死ぬわけにはいかないのだ
息子が独り立ちするまで見守って助けたいんだ
と思っています
もちろん
移植してもらえたとし
そのあとの生存が何年か
保証されているわけではないし
賭けかもしれないのは分かっています
なんだか
ショックでした
どうすればいいかなんて
もう分かりません