頭痛が酷くて、しばらく日記が書けなかった。
(月曜日)
メガトン級の頭痛が起こった。
気が付くと12:30くらいだった。仕事に間に合わない。
電話を入れて、頭痛で休む旨を伝えた。
でもこれでは事実上の無断欠勤だ。
1月から月曜の午後と水曜の仕事を頑張っていたが
ついに休んでしまった。
でも今までも起きたら10時で
「よし仕事に間に合う」みたいな感じだったので
今まで勤務できていたいのが、運が良かったのだ。
この日は母親が家に来ていた。
実は最近、私の体調が悪くて寝てばかりいるので
父親(80歳)と母親(75歳)が交代で家に来ている。
(本当なら私が親の介護をしなくてはいけない年齢だ。)
しかし母親はいつの間にか帰っていた。
私に「帰るよ」くらい言わなかっただろうか。
あるいは私が頭痛で意識を失っていたのか。
この日は20時間くらい寝ていた。
(火曜日)
起きたのは昼近くだったと思う。
月曜日に1日中頭痛と戦っていたので
体力を消耗して全身が疲れていた。衰弱感すらあった。
私は起きたら、まずお風呂に入って体を暖める。
そうしないと、最近は動けないのだ。
そして体が冷えるとまたお風呂に入る。
この日は4回入った。
私は以前はとてつもない暑がりだったのだが
ここ最近は冷え症になってしまった。
体力的にも元気がなくなってしまったのだと思う。
この日は後、何をしていたか覚えていない。
おそらく寝てばかりいたのだと思う。16時間くらいかな。
寝る前になって、月曜日と火曜日の朝は薬を飲み忘れていた事に気が付く。
寝る前は薬を飲んだ。
(水曜日)
頭痛外来に行った。
今までの経過を説明したら、薬が増量になった。
セレニカ800mg→1000mg 朝夕
チザニジン1mg 2T→3T 朝昼夕
シアゼパム2mg 2T→3T 朝昼夕
テプレノン50mg 2T→3T 朝昼夕
メコバラミン0.5mg 2T→3T 朝昼夕
そして来週、精神科もしくは心療内科へ行く事になり
紹介状を書いてもらう事になった。
ついにデビューが決まった。一体どうなるんだろう。
この日は午後に仕事をした。
頭痛に耐えながら仕事をしていたが
仕事を終えると仕事場で寝込んでしまった。
その後、呼び出しがあり
私は予定通り、3月いっぱいで解雇になる事を告げられた。
(木曜日)
昨日の精神科の話と解雇の話はショックだったはずなのだが
この日の頭痛はそれほどでもない。
何がどうなっているのか分からないが
昨日の頭痛外来で増量された薬を飲んだ。
ぼんやりした頭で、私はこれからどうなってしまうのだろうか考えた。
でも考えたってわかるはずはない。
サラリーマンの人生は
「レールの上に敷かれた人生」と揶揄されるが
全く先の見えない人生に比べれば、何百倍もいいな。と思った。
たくさんのコメントやメッセージをありがとうございます。
当ブログは小説ではなく、日記ブログのため
今後の方向性や結末がどのようになるのか
書いている私自身が全くわかりません。
先日のブログで自己破産および生活保護について書いた。
しかし実際の手続きにはお金がかかるようで
また自分としてもどのようにすればよいのかわからないので
インターネットで調べてみた。
すると生命保険の事が書いてあった。
生命保険に入っていると、生活保護にはなれないのだという。
生命保険を切り崩せばお金が戻ってくるので
貯金の一種と見なされるのだろう。
これはなるほどと思った。
私も生命保険に入っているので
このままでは生活保護になれないことがわかった。
しかしもう1つ、生命保険について重要な事がわかった。
住宅ローンの団体信用生命保険である。
私はこれに入っているのだが
すると私が死亡した際、住宅ローンがチャラになるのである。
「ぶははははは!」
私は頭痛を超えて、爆笑してしまった。
以下に、2通りの道を示す。
1 私が生きたまま、自己破産して生活保護になる。
この場合、私は生命保険を解約して生活保護になるが
自宅はなくなり、妻と子供もおそらく生活保護になる。
私も妻も生活は苦しい。
2 私が死んでしまう。
この場合、妻には死亡保険金が入り、かつ自宅も手に入る。
自宅には自分で住んでもよいが、貸して家賃収入を得ても良い。
(実際、妻は実家に帰っているので、自宅に住む必要がない。)
この方が、妻も子供も生活は楽だろう。
だから父親である私が子供の事を思うなら
どちらの道を選んだ方が良いのかは明白だ。
これは「生命保険の喜劇」だと思った。
だから「ぶははははは!」と爆笑してしまったのである。
(以上は素人が調べた結果。後日、誰かに相談しようと思う。)
ここで私は、10代の教祖と呼ばれた尾崎豊を思い出した。
尾崎豊は歌手であり、作曲家であり、作詞家であった。
歌手としての歌いぶりは、並ぶ者がないほど情熱的で、超一流だった。
作曲家としての才能も、まさに超一流だった。
さらに尾崎豊の作詞は、超一流どころではなかった。
尾崎豊の歌詞に、少年少女は心から共感し、また狂酔した。
尾崎豊はアーティストではなかった。教祖だった。
尾崎豊にファンはいなかった。みんな尾崎豊の信者だった。
尾崎豊の前に尾崎豊はおらず、尾崎豊の後にも尾崎豊はいない。
まさに空前絶後のカリスマ的存在だった。
尾崎豊は、大人たちの作り上げた社会の仕組みに
逆らい続け、あがき続け、自由を求め続けた。
生命保険だって、大人たちの作り上げた社会の仕組みだ。
「何かあった時の保障」を名目に
高い保険料を払わせる事に、システム的に成功している。
そして相当儲けているのだろう。生命保険会社のビルは全て巨大だ。
だが私は調べ物によって
大人たちの作り上げた社会の仕組み(生命保険)を逆利用する事によって
私が死んでしまっても、子供たちの生活が楽になる事を知った。
だからこれは「生命保険の喜劇」だと思い
「ぶははははは!」と爆笑してしまったのである。
でも尾崎豊がこのブログを読んだら怒るだろうな。
わずか26歳でこの世を卒業した尾崎豊。
私はいったい、どうなるのだろう。
ここ3、4日は激烈な頭痛が起こらずにいる。
こういった日に私がする事は、食べることである。
とにかく精一杯食べている。たぶん体重は戻っていると思う。
そして頭痛が軽い間に、まだしなくてはいけない事がある。
正社員だった頃の仕事の報告書だ。
以前の資料が残っているので
それを元に報告書を作るのだが、能率が上がらない。
集中力がなく、パソコンの前で、ただぼんやりしてしまう。
私は体調が悪くても、いざ仕事となればそれなりに頑張り
パソコンの前に座れば、データの整理に取り組めるはずなのだが
無気力のまま、無為に時間が過ぎていった。
以前の私だったら、半日くらいで作成できたはずの報告書だ。
しかし今の私には、3日経ってもまだ全然出来ていない。
頭痛は軽いはずなのだが。
私は今まで、このブログで
「頭痛さえよくなれば」と何回か書いたと思う。
そしてそれが、私の心の支えであった。
つまり「頭痛さえよくなれば、本来の自分に戻れるはずだ」
というのが、私の唯一の心の支えだった。
しかし頭痛は軽いのに報告書の作成が全然進まず
私の心の支えが根底から揺らぎ始めた。
現在の私は頭痛外来に通っており
精神科にも通う話が出ているが
頭痛が治っても、もう本来の自分に戻れないのだろうか。
もうあの頃に戻れない・・・。
これを自分で認めてしまう事は
自分で自分の人生が終わった事を認めてしまうようなものだ。
もう本来の自分に戻れない恐怖、失望、落胆と共に
昔の楽しかった日々を思い出した。
そうしたら涙が止まらなくなり
報告書の作成どころではなくなってしまった。
