ザブーン!
勢いよく体躯と水面が重なり合う。そのサウンドに合わせてつかの間の静寂が去り、人々の声援が大音量で耳を貫く。僕も負けず、我を忘れてあいつの名前を呼ぶ。「いけ、ジェイ!!」
ここは、州選抜の高校生水泳大会。まわりには大勢のヒトがいる。選手、コーチ、応援団。多くのチームが州の各地からこのアリゾナ大学のプールで集まっている。こんなに多くの選手を見るのは初めてだ。
今日がどんな日になるか見当のつかなかった僕は先日に友人に聞いていた。
「うーん、なんていうかな。一言でいえば、長い。」と彼は批評していた。
「うまくいえないけど、とりあえずたくさん人がくるぜ。そう、大勢が泳ぎに来るもんだから、大会がこれまた長いんだよなぁ。」
彼の言う通りだった。大勢の選手からくる活力はすさまじいものだった。まるでこの会場が一種のエネルギーの磁場のようになったみたいだ。彼らの熱気とアリゾナの灼熱の太陽で額に汗が流れる。僕は泳がない。だから今日はチームメイトを応援している。だからこうして100mフリーを泳いでるジェイの名を呼んでいる。この声援に思いっきり力を込めて。
ジェイは僕らのチームのキャプテンだ。本名はジェイコブなのだが自己紹介のときに彼があえてジェイと名乗ったのでそうよんでいる。トワイライトシリーズに出てくる狼族のキャラクターと名前がかぶっているので、少し名前に嫌悪を抱いているのではないかというのが僕の推測である。
初めて彼が泳いでいるのをみた時のことは今でも覚えてる。シーズンが始まった最初の金曜日だった。コーチがメドレーを組むために選手のタイムを記録していた。僕はあっけにとられた。水泳のことはほとんど知らない僕にとってそれは当然であろう。フリーを泳ぐときの手の入水、平泳ぎのキック、フライのときの腕の振り様。そして背中。
彼がベンチに戻ったとき僕は感心できずにはいられなかった。
「すごいよ、きみ速いね!」
「別に。」
それは今まで聞いた「別に。」のなかで一番空虚な意味を持った「別に。」であった。まさしく文字通りの意味をもってその声に文字通りの無関心さをこめた「別に。」であった。久しぶりに率直な意思をもった生のコトバを思っても見なかったところで聞かされ、意表をつかれてしまった。僕は返す言葉を失ってしまった。
タイム計測が終わりみんなが帰り始めようとしたときにジェイの母親に止められた。
「あらこんにちは、えぇっと、ヒロシくんだっけ?」
「ヒロキです。」
「あら、ヒロキくんね、ごめんなさい。私はジェイコブの母親です。」
「はじめまして。」
「よろしくね。ところで、チームの連絡網に使うメールアドレスを以前にもらったのだけど、なぜか届かなくて。もう一度メールアドレスをもらえるかしら?」
「はい、もちろんです。」
それからメールアドレスを紙切れに書きジェイの母親に渡した。後ろのほうにジェイがたっているのが見えた。
「ジェイコブ君はとてもいいキャプテンです。」
「あら、そう?ありがとう。」
その笑顔に一瞬戸惑いが彼女の表情に横切ったように見えたのは気のせいだったのだろうか。
そのとき、おじさんがやってきて差し入れを持ってきてくれた。残念ながら子供たちはもうみんな帰り始めていた。残った大人たちでわけてたべることになった。残っていた子供は僕とジェイの二人だけだった。僕はおばさんの作ってくれたチキンパイを食べないわけにはいかなかった。ひどく気まずかった。少なくとも僕は非常に居心地が悪かった。彼にチキンパイをすすめるか、何かくだらない会話のひとつでも始めるべきなのだと僕のなかの親切心が告げていた。しかし、するべきか否かの決定の狭間でぼくの言動はとまってしまっていた。彼の表情はひどく読みづらかった。天性の無愛想に恵まれているのか、それとも何かが原因で感情を極力表に出そうとしないポーカーフェイスなのか、あるいは周りの世界は僕の知らないとこで勝手に回っててくださいと考えるただの成長しきれていない子供の性格を持ち合わせているだけなのか。わからなかった。
大人たちはおばのチキンパイを絶賛していた。ジェイの母親は彼にもチキンパイを勧めた。彼は断った。
帰り際ジェイの母親にさよならを言った。ジェイと目が合い、頭の中でするべきか否か一瞬の間に121回迷った末に結局、できなかった。そしておじの後を追った。後悔となんともいえぬもやもやした気持ちが一歩追うごとに強まった。結局何もできなかった。いや、何もできなかったんじゃなくてしなかっただけなんじゃないか。でも無愛想なのはあいつだ、僕は悪くない。
そう心に決め込むことで僕はそのなんともいえぬ後ろ髪をひかれるような思いと罪悪感を払おうとした。普段の自分らしくなかった。
それから僕はあくまでできるだけジェイとかかわらないようにした。
part twoにつづく...