今日はスーパームーンだったらしい。一年に何回か月が地球に接近する日だそうです。日本時間で12日午後8時20分ごろからだったそうです。



これは13日0時あたり。Nikon D3X、AF NIKKOR ED 300mm F4S。DXクロップを利用しているので600mm相当です。Nikon F4というフィルムカメラ時代の大変古いレンズですが、普通に写ってますね(笑)
夜の帳が下りる直前の井の頭公園


AF-S NIKKOR 58mm f/1.4G、絞り開放

夕日はすべての物を美しくしますね

今日清涼飲料水自動販売機でハッピー缶なるものが当たった。そんなキャンペーンも知らずに、ただのどが渇きジュースを買ったら「ゴトン、ゴトン」と2回落下音がしたので「?」となっていると金色の缶が一緒に出てきた。






子供のころからこのような景品を当てる引きが弱いのでビックリしました。中身はタオルらしい・・・



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先週また大阪に行きました。僕は関西に行くとなぜか阪急十三(じゅうそう)駅に宿をとります。十三駅は交通の要所で阪急三路線の交わる便利な駅です。関東民の僕からしても昔ながらの大阪の町並みが残る貴重な場所だと思っています。


いつも駅を降りると、とんこつラーメンのおいしそうな香りが漂い、いつか食べようと思っていましたが先週念願がやっと叶い食べました。




ラーメン屋のちょうちん



入り口


店内にメニューはなく、たしか「らーめん800円」の文字しか見当たりません。店員さんが初心者だと察してくれたのか説明をしてくれました。「らーめん800円、ご飯は2杯まで無料です」と教えてくれます。



店内。iPhone低解像度の写真でごめんなさい



あっさりとんこつ


店の前はかなりとんこつラーメンの独特な匂いが強いですが、食べるとあっさり。スープまで飲み干してしまいました。僕を暖かく迎えてくれたラーメンと店員さんに感謝しつつ、また来よう、と心に決めましたが本日十三駅前火災にて焼失してしまったかもしれません。けが人が出なかったのは不幸中の幸いです。もしラーメン屋さんが再建したらまたぜひ行きたいと思います。


被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。

いつも読んでくれてありがとう。





阪急電鉄十三(じゅうそう)駅から梅田まで歩きました。淀川を歩き渡ると明らかに明治時代の鉄橋が横に架かっていました。





調べると大阪の今昔、特に十三に詳しいブログを発見しました。この橋は「濱中津橋」というそうです。僕は関西の地理に詳しくなく、また河川は改修工事をするので詳しく説明することができません。この鉄橋はなんと日本初の鉄道用鉄橋で明治7年(1874)5月11日に開通した大阪~神戸間の下十三川橋梁に使用された一つを移設したものだそうです。イギリス人が設計し、イギリスで製造されたこの鉄橋は今年で140歳。江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が大政奉還してたった7年後に生まれたこの橋は、140年間大阪の人たちの生活を支えていたのですね。


いつも読んでくださってありがとう。


渋谷駅に明治47年(1907年)から昭和44年(1969年)まで玉電という路面電車の駅がありました。現在の東急田園都市線の前身です。大正12年(1922年)から昭和初期まで玉電は山手線を超え、恵比寿あたりまで走っていた時期がありました。


渋谷の町は現在も山手線で街が分断されています。それを越えるのは困難を極めたのが想像できます。その痕跡を現在解体中の旧東急東横線の渋谷駅の真下にあった東横のれん街にて確認することが出来ます。東横のれん街は今のデパ地下の原点となった食品店街です(建物真下に渋谷川が流れている為に地上ですが・・)。





この写真は2013年3月31日の東横のれん街閉鎖直前の撮影です。赤い看板の下あたりを玉電が向こう側の現在のモヤイ像あたりから抜けてここまで走っていました。しかし東横のれん街はデパートとして内装がきれいに施してあり当時を偲ぶ面影はなかなか見つかりませんでしたが、解体工事中になんとなくそれらしい写真が撮影できました。





解体工事中偶然シャッターが開いていたのでとっさに撮影しました。iPhoneなので画質が悪いので恐縮ですが写真上が旧東横線渋谷駅ホームです。写真左の銀色の丸い柱は先ほどの写真の赤い看板の下に確認できます。アーチ状の高架は当時は無かったと思いますが、雰囲気だけは伝わります。写真下の地下は渋谷川です。


だれも見向きもしない解体工事ですが、僕には宝の山です。いつの日か渋谷の町を研究なさっている方の参考になれば嬉しいですね。


いつも見てくださってありがとうございます。


去年の暮れ、ある路上ミュージシャンと飲みました。そのグループのリーダーに◯◯さんはどんなカメラマンを目指しているのですか?と聞かれました。

僕はとっさに答えることができず、「僕はミュージシャンに例えるとスタジオミュージシャンなんだ。当日渡された台本や割り本(カット割り本)のとおりに撮影するのが仕事なんだ」と言って話しを濁してしまった。

そのミュージシャンは「職人さんなんですね!」と元気よく言ってくれましたが、正直目標をとっさに答えられず恥ずかしかった。なにもかも投げ出したつもりはないけど、自分を失いかけていたのは事実でした。あるいはすでに失っているのかもしれない。

もちろんプロとして、現場ではそれなりに振る舞うが、このような精神状態だと少しの失敗でも精神的にこたえる。いつまでもこの状態がもつ訳ないのでなんとかしたい。

その為に何を目指すのか。とりあえずの目標は自信を取り戻すことなのかな、と今は考えています。

以上ひとり言でした。
初めてiPhoneから書きました。

東急東横線に走っているヒカリエ号は以前紹介しました。この電車は渋谷ヒカリエという東急文化会館跡地に2012年完成した商業、文化、オフィスビルの開業1周年を記念して2013年4月26日から走り始めました。



2013年4月26日撮影

(奥のビルが渋谷ヒカリエ。その地下に東横線、副都心線渋谷駅がある)



この電車は10両編成で内装も特別です。車内の手すりに一ヶ所だけハートマークが隠されていますが、探すのも大変。なにしろ10両の手すりの数は300本以上。気が遠くなります。


この電車は1編成しかありません。5社乗り入れなので今、東急東横線を走っているのか、みなとみらい線なのか副都心線なのか西武線なのか東武線なのか。。。この電車に乗るのはもう偶然です。しかも10両編成の中の一ヶ所だけ。。


昨日1月3日、渋谷駅から中目黒駅に帰ろうとホームで待っていたら偶然ヒカリエ号がきました。これはもう探そうと10両編成すべて歩き、ついに見つけました。




あった!!




確かにハートマーク



このハートマークを見つけると幸せになるらしいので皆様も見つけてくださいね(笑)普段東急東横線を利用していない方はこの写真を見るだけで幸せになりますように。。


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今年もよろしくお願い申し上げます。


大阪に行くといつも同じ匂いがすることに気づきました。特にJR大阪駅から阪急梅田駅に向かう途中の通路。知らない方に説明すると大阪駅と梅田駅は名前が違うだけで同じ駅です。その匂いとは揚げ物の香ばしい香り。おなかが空いているときはたまらない匂いがする。匂いの元となる物がどうしても食べたくなり行ってみました。



新梅田食堂街


「新梅田食堂街」。JRの高架下に広がる広大な敷地にある、昭和の香りがする食堂街でした。



廊下


食堂街のほんの一部。人がいない時を狙って写しましたので、実際は人が絶えません。昼間から一人で串かつで一杯する勇気はありません。でもこの匂いは揚げ物の匂い。食堂街の網の目のような通路を歩いていると絶えず客が並んでいる店を発見しました。



おおさかグリル


「おおさかぐりる」。iPhoneで撮影しています。メニューには揚げ物が並び、ボリュームも申し分ない。店内はサラリーマン風の客でいっぱい。みんなモリモリ食べている。そこでカツカレーを頼んでみました。



カツカレー


これもiPhoneでこっそり撮影しました。ボリュームがとにかくすごい!そしておいしい。肝心のカツ。ごく普通のカツだと思いますが、なんだろう・・・揚げ方が絶妙なのでしょうか、香ばしくてとてもおいしい。またカレーとご飯と千切りキャベツを一緒に食べるとおいしさが倍増することに気づきました(笑)


関西はお好み焼きやたこ焼きの話をよく聞きますが、揚げ物も名物なのでしょうか。大阪はそのくらい僕には香ばしい揚げ物の匂いがします。


「新梅田食堂街」。また行きたいと思います。


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以前の記事で子供の頃、地元にある「ニューザイン科学模型社」で古いモーターを買った記事を書きました。子供の頃から品物が数十年前のデッドストック品が多く、まるでタイムマシンで昔の模型屋さんに行った感覚になったものです。その後かなり後になって何度かお邪魔し店主のおじさんと古いデッドストック品の電子部品や模型のお話をしを聞かせてもらいました。



HDW



その時、いくつかの品物や真空管の規格表など貴重な品物を「あげるよ」と言われ、戸惑いつつも嬉しくて頂いたものです。しかし申し訳ないので適当に値段を決め、無理やり代金を渡しました。その時に頂いたトランシーバーです。



HDW


おそらく昭和30年代前半から中頃の科学実験キットの完成品でしょうか。2石とはトランジスターが2個使われているという事です。トランジスターは真空管とは違い半導体という固体なので「石」と呼びました。そう、たった2個。ちなみに最近のパソコンのCPUがおよそ140000万個。昔風に書くと140000万石ですね。この当時トランジスターは貴重で高価なものだったのでしょう。真空管から半導体であるトランジスターへの転換期ですね。



HDW

この取扱説明書のイラストでも大体の時代がわかりますね。当時の少年はこれを買って胸を躍らせていたのでしょうね。ちなみに電源は入れたことがありません(笑)


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最近つまらない記事ばかりでごめんなさい;;