下手者に選ばれた男は自ら進んで其任に當つたのですが、さすがに涙ぐんだりして、私の兄に叱られた樣など、今も眼に見るやうに思ひ出されます。決行の列車が王子驛に着くと直ぐに警察官が出張し、間もなく兄達四人の同志は捕獲され、下手者もその日の内に捕へられました。その三日目頃、家宅搜さが來て、家中を掻き亂しました。私が硫酸を買ひに行つて無駄になつた購入書が火鉢の引出にあることに氣づいた母は、何とかして處分したいと思つたが、刑事が眼前にゐるので如何ともすることが出きず、隙を見て口に入れて飮下しようとしたがうまく行かず、遂に煮たつてゐた鐵びんの中に投じて發見を免れたといふ悲喜劇もありました。この事件で次兄と學友二人と親類のもの一人とは無罪になりましたが、長兄と下手者とは一ヶ年と三ヶ年との刑を被るに至りました。どの被告も口を割らないので未決が一年半もかかりました。次兄も初審で一年の禁錮を宣告されたが、再審で江木衷氏の辯護によつて無罪になつたのです。それは明治二十六年六月頃のことです。
このやうな事件に遭遇する度ごとに、私は、叛逆的行動に興味をそそられるやうになりました。兩兄が出獄し、次兄が法學院を卒業して母とともに歸郷したので、私は同じ家にゐた先輩の世話になることになつたが、間もなくその先輩に叛逆して、その家を飛び出し再びさきの福田友作氏の家に寄食することになりました。その時、福田氏は先妻と離別して、大阪國事犯のヒロイン景山英子氏と結婚して既に男の子を儲けてゐました。
