あの日から1年が経ちました。


後に東日本大震災と名付けられる、

東北関東の太平洋側の沿岸部を中心とした大地震と、

それを原因とした大津波が発生した日。


東北沿岸部を中心とした地域に多くの被害と犠牲者を出した日。


あの日、ワタシは

地中に埋設した給水管が水漏れしていて

その修理をしていました。

水漏れの原因となった場所の特定をしようと

ドリルを抱えて、コンクリートを砕いていました。

後輩と交代して、ドリルを渡し、しばし一休みと

近くにあった駐輪場の支柱に寄りかかっていたときです。


不気味な地面の揺れに気付き、

後輩と目を見合わせました。

そして、「揺れてる。。。よな」と。


近くのボイラー棟の煙突がしなるように揺れて

大きな音を立てます。

建物からいろんな人が飛び出してきます。


突き上げるような激しい揺れというのじゃなく、

その場全体がうねるように、大きく揺れるといった感じ。

今までに感じたことのない恐怖でした。


長い揺れが収まったとき。


事務室に飛び込み、テレビの電源を入れ、震度を確認しながら、

何をするか・・・

何から手を付ければいいか・・・と頭の中を整理します。

テレビの中の映像と同じように、全てが混乱していました。

過去に何度かそれなりの地震に対応してきたじゃないか。

でも、何かこの地震は違う。

どこに行けばいい?どこから手を付けるか?

施設・設備を担当するのワタシたちの部門には、

建物に何か被害があれば最初に問い合わせがあるはずです。

矢継ぎ早に掛かってくる電話がその証拠でした。

天井から水漏れがしている、防火扉が閉まってしまった。。。

全てに対して「見に行きます」と答えながら、徐々に現実を取り戻し、

一緒に仕事をしていた後輩に1つの場所を任せる指示を出し、

別の仕事から戻ってきた同僚に後輩の支援をお願いし、

ワタシ自身は、ボイラー棟の状況を確認して、

エレベーターが異常停止していないかを調べつつ、

一番大きな被害と思われる「天井からの水漏れ」の調査に走りました。

天井裏を覗くと、幸いにも配管に大きな破損はなく、

近辺で数週間前に水漏れの修理をして、

その後保温材の中の水が切れるまでの

予防的に置いておいたバケツが転倒したモノとわかり一安心。

別の場所の対応を終えた2人と合流し、

同僚にこの場の処置を頼み、後輩とは建物全体の状況調査と、

上司への報告に向かいました。

防火戸を元に戻したり、全ての部門に声を掛けて廻り、

幸いにも大きな被害はなかったのですが、

その日に入っていた補修工事と電話工事の対応におわれ、

落ち着いたのは、揺れが収まってから2時間以上が経過した頃でした。


そして事務室に戻ったわたしの目に飛び込んできたのは

テレビに映る目を覆うばかりの衝撃的な風景でした。


それからの1年は

計画停電への対応として仮設電源の配備に、

自家発電設備の増設、

燃料の確保に、地震対策の見直し、

そして電力使用制限令への対応、節電の徹底と業務の両立。。。

様々な現実的な対応に追われながら

未曾有の大災害への恐怖と、無力感を味わいつつ

日々を過ごしてきました。

当たり前のことを、当たり前に出来るありがたさを

これほど感じた1年はなかったんじゃないかな。



自分に何が出来て何をするべきなのか?


全ての人の価値観と考え方に変化を加えたあの日から1年。


大げさに考え過ぎても仕方がない。


出来るところから始めよう。


身近なところから始めよう。


そして、今を積み重ねていこう。


それが現実なのだから。