武道や格闘技をやろうとする動機は人それぞれ(#^.^#)


イジメという嫌な言葉を作ったのは誰なのか?

昨今の幼い命が散っていくのは悲しいです。



俺のキッカケもイジメから潰されないところからの始りだったなぁ。

毎日毎日家でも殴られ蹴られ外でも転校生の俺は目の敵、、5人がかりで釣り堀に落とされたりランドセル池に落とされたり、小学生、中学生で自分で新聞バイトしてフルコン町道場で稽古代払い、そこでも毎日殴られ蹴られたけど。

イジメに潰されて死にたくなかった

だから耐えたしそこでの殴られ蹴られは自分の気持ちと体を鋼にすること。

そして、
不純な目的だけど殴った奴等を一人ずつ叩きのめす為に通った。

大人や高校生とやってたから怖さは無くなった。

時が来たとき全員一人ずつ一人ずつ待ち伏せして叩きのめしてった。

最後の何人かは逃げ回ってたけど中学に入ってそいつの学校の授業中に入ってって取っ捕まえて殴った。

一人じゃ何も出来ない奴等。

どんな状況でも死ぬ気があれば絶対潰されないと悟った時人を殴るのを止めた。


今でも完全には許す事ができない身内も許そうという気持ちや会えば普通に話をする事も出来るようになった。



人は残酷だ、しかし残酷な仕打ちを受けてもそれに立ち向かう手もあるがそこから逃げ回る事も勇気だと私は思う。


犬という動物はどんな仕打ちを受けても人を許してくれる素晴らしい生き物




耐えられなくなりほんの短い青春を自ら絶ってしまうくらいなら学校など行かなくてもそこから逃げてもいいと思う。


私が言いたいのは今キミの居る小さな空間は全てではなくてホントに人生の中の小さな小さなカケラでしかないのだと。


辛かったらそこから逃げても若いのだからそこから這い上がってもいくらでもチャンスはあるということ。



そして、大人はそんな幼い心で勝手に命を絶ってはいけないことなのだと社会がキチンと教えてあげるべき。


命を絶ってその後マスコミがイジメタ犯人を晒して仇を打つようなそんな事があってはならないと。

それがその子の敵討ちだなんて悲しすぎる。


そして今、私を変えてくれた先生に出会い下らない喧嘩をしないために極真空手を学んでいます。

でも家族の為なら命を掛けて戦える様何時でも刀は鞘に収めている。

武道は素晴らしいし色々な事に潰されなかったのは空手があったからだと感謝してます。
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