第二の区切り
 
さて、訓練士の仕事を辞めてから何をして食っていくかという課題がオレとチモに残された最大の試練だった訳だが、
 
 
ここでもあるアメリカ人の友達に助けられ元自分がやって
いた昔の仕事に戻るまでには色んな仕事を経験した。
 
牛丼屋から便利屋、工員、会社員などありとあらゆる仕事を二人で食っていく為に何でもやってきたような気がする。
 
そうして、
暫くそんな生活が続いていた頃丁度自分がやっていた
元の仕事に戻れるという幸運に恵まれおまけに
今のカミさんと結婚する事になったのだ。
 
彼女とはもう昔から知り合い(というより友達の妹だった)ので自分の前からの修羅場や問題、状況を全て知られていたんだが、

こんなアホな自分と結婚してくれるなんて夢にも思ってなかった。

彼女もオレと結婚するなんて初めは思ってなかったと後々語っていた。

そして彼女も当然チモの事は前から知っていたし、
チモも彼女の事は大好きな人の内のリストに入っていた
のでなんの心配もなかった。
 
犬が苦手な人とは絶対一緒になれないと思っていたけど
彼女が犬が苦手な人でなくて本当に良かったと思っている。
 
でも、彼女はチモだったから、奴だったから一緒に生活していく事が出来たのだと
後から話ていたっけ。
 
最初がチモで本当に良かったと。
 
そして、

その後あたふたと結婚式の準備や打ち合わせをバタバタ済まし海の近くのイベントスペースで、

2001年5月19日二人とチモは結婚式をむかえたのだった。


 
この打ち合わせの時にちょっとおもしろい裏話があるんだが、

イベントマネージャーだった人に、

犬も結婚式に出席させてもよろしいですか?と尋ねた所、

う~ん犬はちょっとねえ」とまあ当たり前の答えが返ってきた。
 
そこで自分とチモとの関係の深さや今までの苦労話を
マネージャーに時間をかけて時には頼み込み、
時には熱弁をふるって説得にあたった。
 
そのマネージャーはちょっとナヨナヨ系のオネイのような
男性であるらしく、
ジッーっとオレの目を見て熱弁を振るう私にちょっと
顔を赤らめながら

う~んじゃあ、こう言う事にしましょ!
と指をパチンッと鳴らし名案とばかりに、
 
アタシは何も知らなかったと言う事にして当日そのワンちゃん連れてきてちょーだい!」
と嬉しそうに言うのであった。
 
これにはオレと彼女も嬉しい反面、ちょっと驚かされてしまった。
 
いい人だったなあ😆

でもオレはそっちの方の趣味はないのでタイプと言われ
ても困ってしまうが、
とにかく感謝している。
 
そしてこの粋?なマネージャーの計らいに二人共頭を
深々と下げてヘヘーッと崇め立てたのは言うまでもない。
 
大体チモが出席しない結婚式なんて何の意味もないと
二人で話していただけに二人して飛び上がって喜んだの
を今思い出してもすごく嬉しくて楽しい気分になってくる。
 
当日は自分の仕事仲間やハーレー仲間、親戚、犬仲間など色々なジャンルの人達で大体100人近くの人達がお祝いに駆けつけてくれた。
 
会場のスペースの都合上、どうしてもその位の人数で
収めなくてはならなかったので呼べなかった人達には大変申し訳なかったが、
まあ二人とも絶対幸せになりますと言う事で勘弁して頂いた。
 
そして俺たちの結婚式にはみんな思い思いの格好や服で来て下さいと伝えてあったので
 
アロハ着てる人、
 
皮ジャンの人、
 
羽織袴、
 
正装の人など本当に思い思いの格好で来てくれた(笑)
 
ハーレー20台以上で来てくれた友達、

遠方遥々来てくれた人、

子供を何人も連れて来てくれた人など本当に感謝感激である。
 
そして打ち合わせ?通りチモはその会場を時々フラフラ
と周りながら式に出席してくれた人達のテーブルを寄り道しながら挨拶して周っていた。
 
みんなチモの事は知っていたから奴に一言二言声を掛けてくれた😊

その度にチモはあの団子のような尻尾をプルプル振りながら
招待客を接待していた。
 
なんかそんな時のチモの表情はちょと誇らしげでみんなに

「どう?うちの父ちゃん結婚すんだぜ!」

みたいな顔をしていた。

それを見て席に座ってた二人はニヤっとしてしまうのである。

式は進み、なんだかバイトの神父様やインチキゴスペル歌手のような人達の余興が終わって色々な人達が代わる代わるスピーチをしてくれたのだが、

つくづく人間って一人は
生きていけない動物なんだなあと思った。
 
周りの人達の理解や協力なしには何も向上する事ができないと・・
 
本当に有難い財産を貰ったんだなあと。
 
そしてそれはチモが引き合わしてくれたものも半分以上
あったような気がする。

どんな境遇でも常に明るく、逞しく、負けない心を気づかせてくれたチモ。

自分が今こんなに幸せな生活をしていられるのも奴との苦しくても楽しく過ごしてきた時代が基盤になっている
のかなあなんて思うのである。
 
式の後に恒例の写真を色んな

友達がと撮ってくれ、

みんなで撮った写真、

カミさんだけの写真など、
チモを見ると、

「父ちゃん俺も一緒に!」
と言わんばかりの目でジーっと私の方を見るので
 
じゃあ、父ちゃんと撮ろう」といい終わらない内にもうオヤジの足の横にピッタリくっついている。
 
そんな感じで三人で撮ったショット写真が今でもオレの
大切な宝物となっている。
 
三人共本当に幸せそうな笑いに包まれて見ているだけ
で楽しくなってくる写真である。

これからどんな生活が三人を待ているか期待と不安が
入り混じった何だか嬉しくて泣きたくてそれでいて
ドキドキするような奇妙な感覚だった。
 
そんな期待や不安が的中するような笑いと涙と鼻水が
ごちゃ混ぜになった三人の共同生活が始まるのである。
 
今でこそ小さいながらも自分の家を持ちローンレンジャー
になりながらも自分の城を築けたけれど、
 
 
結婚当初は住んでいた築ウン十年も経っている古いアパートに三人でギュウギュウ詰めの状態で住んでいた。
 
でも犬がOKのアパートなんて当時そんなにめったになかったし、
 
あったとしても目玉がぶっ飛ぶ程フザケタ家賃であった。
 
自分達には縁もゆかりもない世界である。
 
 
まったくなんであんなに高いのか不思議でしょうがない。

ドンッ!怒っているのである)。
 
しかし安い値段なりにうちは風呂も一回一回沸かさないといけないし、

申し訳程度についているシャワーは頭さえ流せないくらいの勢いでチョロチョロと老犬のオシッコのような始末だった。
 
二人共働いていたので(当たり前ですね

三人が一日中居られるのは休みの時位だった。
当たり前ですね
 
寝る時は寝る時でセミダブルのベッドに三人川の字になって寝るんだが、

奴はかなり暑がりなので暫くするとハアハアとあの臭くて熱い息を弾ませながら寝返りを打ったりオヤジの耳元で囁く。
 
「うるせーっ!」

オヤジに一括されて一旦は黙るが暫くすると又ベッド
全体がグラグラと地震のように揺れ出す。
 
うるさいので下で寝ろと言って蹴り落とそうとするが、
奴は脚を突っ張って必死で抵抗する。
 
まあ三人で寝る時は大抵こんな感じである(笑)