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ブラタモリ・上高地編下・風穴など

 昨日の『ブラタモリ』は「上高地はなぜリゾート地になったか」の後編。まずは一行再び上高地へと行く。そこで案内人と合流し、いよいよなぜ上高地がリゾートになったかの理由を探る。

 

 前回は上高地の自然の素晴らしさとその山の組成を学んだ。今回はこの上高地がどうしてリゾートとしてなりたったか、その前に上高地が注目される何かがあって、というその何かを探る。

 

 ここに人が入ったのは江戸中期。人々は山を越えて上高地にある保高神社にお参りに来ていた。ご神体は明神池の奥にある明神岳、その後ろが穂高岳でこれが御祭神となった。

 

 そのお参りの理由はと聞かれたタモリ。「家内安全」「五穀豊穣」「一家離散」、と笑わせる。それを願ってはいけない。

 

 ヒントはいくら寒くなろうが凍らない水、つまり農業への祈願である。なぜか、このような寒冷の地で凍らない水面は水無くしては田に稲を育てることができず、真冬であっても凍らない水面は人治を超えるものと、崇められた。

 

 理由は湧き水。保高連峰に積もった雪が次第に解け山に浸み込みそしてこの池に湧き出す。そんな科学的なことは知らなくてもそれは神の御業であると農民たちは思ったのであろう。そうした水が満々とたたえられたこの場所に雨ごいにきた農民たちの思いがあった。

 

 その他この地は木材の宝庫であったので木を切り出す杣(そま)も出入りしていて、松本の城下町で必要な用材も供給していたとみてもいい。その杣が上高地に小屋を作りその中に嘉門次がおり、明治になってお雇い外国人ウェストンをこの山岳へ案内した。これが日本の近代登山の始まりとなる。ちなみにこのウェストンが「日本アルプス」とこの地を名づけたといわれている。

 

 そしてタモリ一行一端山を下りある集落にたどり着く。そこには小屋があり「元本風穴」との看板がある。風穴とは山の涼しい空気を送り何かを冷やすために設けた場所。それはなにか、それは蚕の卵。なんだそれ、というなかれ外国に開いた日本の当時の日本の産業といえば絹糸の輸出。ちなみに「元本」とは第一号ということである。

 

 昔から絹糸は農家で飼育された蚕をから糸をとるということを二次産業としていた。その蚕の糸がとれるのは蚕が成虫になって彼等は卵を多く生む。が糸の生産にはそれほど大量の成虫は必要ないのでこうした風穴の小屋に卵を保存し冬眠させて置けば必要な時に成虫にさせることができ、効率的だ。

 

 といった理由でこうした風穴を利用した小屋が上高地のずっと下の集落に作られた。そしてそれが日本での生糸生産第一号工場としての富岡製紙工場につながる。またその後は長野県の諏訪湖のほとりにいくつかの製糸工場が立ちならぶ切っ掛けにもなった。

 

 タモリと佐藤茉奈アナ二人はその小屋の外の温度が29度のなか厚着をさせられ、「こんな格好まですることはないでしょう」といっていたが、小屋に入った途端、寒いと一言。それだけ風穴からでる冷気は寒い。こうして蚕の卵は保存され必要となると工場へ運ばれた。

 

 そうして大量の蚕の卵は全国から集められ、当然運搬のための道ができる。その道の延長がいずれ上高地まで続くことになる。一行は上高地の入口にあたるトンネル「釜トンネル」に向かう。

 

 現在はバスが通れる大きさだが、その横には小さなトンネルがあり、それは大正池の水を利用した発電所へ引けば良い、ということになるのだが、もしそうなったら大正池に巨大なダムが必要となる。

 

 が、そうならず景勝地としての上高地が世に知られ政府が観光に力を入れたため、現在の上高地が残った。その象徴が上高地一の西洋式の宿泊施設「*帝国ホテル」だ。ただ現在もそうだがここに泊まることができるのは富裕層であって、われわれ貧乏山屋などは外から建物を眺めるだけ。

 

 そんなホテルに一行は入り、テラスにでて椅子に座りカクテルを呑みながら穂高山脈を眺める。とくにここから眺める奥穂高岳と前穂高岳との間にある吊り尾根の景色はバランスがとれていて最高。「いいねぇ」と、もうタモリはご満悦。で、エンディング。

 

 *実際に東京日比谷にある帝国ホテルが経営している。