天方通綱(あまがたみちつな)
概要
徳川家臣で松平信康の切腹時に介錯を行った。
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別名 豊後守 山城守
主君 徳川家康→結城秀康
氏族 天方氏
父母 天方通興
兄妹 通之
妻 不明
子 不明
生涯
今川家臣、天方通興の次男として生まれ、今川家没落後は徳川家に父とともに仕えた。兄通之の死後、家督を継いだ。信康事件では切腹となった松平信康の検視を行うが、服部正成が任に耐えられず代わり介錯を行った。そのため、主家の跡どりを殺した罪悪感から徳川家を出奔し高野山に隠棲した。通綱の出奔により天方氏の家督は青山忠成の五男通直が継いだ。その後通綱は徳川家康の次男結城秀康が通綱を高禄で召し出されて仕えた。通綱の子孫と青山氏はその後も交流があったといわれている。
関連
参考資料
wik天方通綱
國學院大學
Wik天方通興
Wik天方通直
天方通綱のその後
最終更新 2025/07/21

