およそ三週間前

 

叔母さんが亡くなった。

いや、正確には大叔母だ(おばあちゃんの妹です)。

 

年は90歳。

76歳まで働いて、

独身でした。

子供はいなくて、

甥っ子の息子である僕ががほぼ孫の状態でした。

そして何ゆえか僕が一番好かれていたらしいです(親曰く)。

 

僕が平日有給を取って、入院したとのことでお見舞いに行きました。

5月までは元気でいたのに、

5月の中頃、転んでから急に具合が悪くなったらしいです。

別に骨折してるわけでもなく、転んだだけなのにそれがショックでご飯が食べれなくなったそうです。

それから一か月後、

僕がお見舞いに行った。

親から連絡があって、お見舞いに行きなさい!って

っていうか、知らされてないですよ!

逆に「そういうのは早く言ってよ!」と言いました。

 

お見舞いに行きました。

滋賀から2時間、車飛ばして、実家で母親載せて。

 

病院にいったら、リハビリしてて、おお、リハビリできるくらいに回復したのかと少し安心。

ご飯も食べているらしい。

よかった。

安心して、1時間ほどのお見舞いを終わらせた。

最後に元気になってや!と言い、おばさん「わかった!」って笑ってくれた。

 

安心して車でとりあえず実家に帰った。

一時間くらいかかったかな。すると、

病院から電話があり、

様態が急変したらしい。

幸いにも僕がいるので車ですぐに駆け付ける。

 

まだ、生きてくれていた。

医者がおかんと僕を呼び説明してくれた。

かなり危ない状態で、呼吸がうまくできないらしい。

これは前からそうだったらしいけど、苦しいのをひたすら隠してたらしい。

このおばさんは、いつも他人に迷惑かけることが嫌いで、

嘘までついて迷惑をかけることを拒んでいた。

(だから僕がお見舞いに呼ばれた件も、実は叔母さんが「迷惑がかかる」とおかんに言い、「連絡はしてはいけない」と言っていたらしいが、さすがそれはだめだろうとおかんが独断で連絡したことを後で知った)。

 

医者曰く、今日が山らしい。

急遽、病院に泊まることにした。

会社も次の日も休んだ。

その晩、なんとかおばさんは耐えてくれた。ぼくもほぼ寝ずに横にいた。

山を乗り越えた。

長期戦になるのを覚悟して、

おばさんが様態が安定したのを確認して、いったん着替えとかを取りに実家に戻ることにした。

戻る前におばさんに、「家に帰ってくるから、それまで待っときや!」って言ったとき、おばさんは酸素吸引をしているマスクから、「分かった」と言って笑ってくれた。そして手を振って見送ってくれた。

これが最後のおばさんの生きている姿だった。

 

実家に戻って、着替えを用意しているとき、病院から電話があり、、亡くなった、、、と。

なにがなんだかわからない状態とはこのことだ。

だって、一時間前まで手を振ってくれた人が、もう、生きていない、、

 

うちのおかんも同じ状態だった。

 

おかんはさすがに疲れがピーク(一か月くらい面倒みていたらしい)が来て、熱を出していた。

 

とりあえず、おかんも行くというので連れていき、

また、車で病院へ。

 

おばさん冷たくなっていた。

看護婦さんに聞いた。

最後はどんな感じだったのかと。

「最後は前触れなく、いきなり息を引き取った」らしい。

苦しんではいなかったらしい。

 

ぼくは、なぜかものすごく罪悪感に苛まれた。

僕がおばさんのお見舞いをしたせいで、、、気が抜けて様態が悪くなったのではと思った。

 

おかんから聞いていたのはおばさんに

「ぼくがお見舞いにくる」

ということをおばさんに言ったとき、「言ったんかいな!」って怒ったらしいけど、

「うれしいわぁ~、元気にならな!」っていったらしい。

それから、ご飯も食べるようになり、元気になっていった。

血色もよくなり、医者もびっくりしていたらしいです。

だからこそ、僕の顔を見て、安心したのか、、、、気が抜けたのかもしれない、、、

今でも僕のせいで様態が悪くなった、、、と思っています。

 

責任を感じているわけではないが、そういう後ろめたい気持ちと、

叔母さんは最後まで頑張ったということは尊敬に値する。

悲しいが泣いている暇はない。

葬儀の準備を僕が全部する、、、というかさせてくれ、、せめてもの償いで、、、

という状態になった(おとんは足が悪いのもあるけど)。

 

そのあと、叔母さんの家の片づけ、ガス、水道、電話、、、全部僕が片付けた。

土日になったら叔母さんのいない家を片付け、業者を呼び片付け、

最後は、もの一つ全て片付けた。

全て終わったとき、、、涙が出てきた。

 

いろんな思いがあった。

人がなくなるのはこんなにも簡単なのか、、、

住んでいた形跡がなくなることがこんなにも悲しいのか。

生きていた証が、もう親族の心の中にしかないのか。

子供が元から嫌いだった叔母さんなのに、ぼくだけはなぜかかわいがってくれた。

多分、子供のころからおとなしかったので好きだったんだと思う。

 

それに大学に受かっていたのに親の病気で治療費がかかるため行けなくなったり、

相手の裏切りで離婚したり、

人生思い通りに行かないことを肌で一番感じている僕が好きだったと言っていたらしい。

おばさんがいつも言っていたのは

人生真面目に生きるべき。正しいと思うことをしなさい。

思い通りにならないときこそ、人の真価が問われる。

どんな時も腐るな。

 

身寄りもいなく、甥っ子の家族(うちの家族)が面倒をみ、一体どんな人生で、

幸せだったのかなぁとか考えると、涙が止まらなかった。

 

ぼくも死んだとき、だれか一人でも涙を流してもらえるように生きないといけない。

たとえ、明日交通事故で死んだとしても、、、。