緊急搬送された病院が大きい病院で、
医師も専門の医師がいたので結果的に、同じ病院に2ヶ月ほどいました。


緊急搬送されてから、病名が決まるまで(二つのうちどちらか)わかったようなわからないようなまま今に至ります。
(私たちの整理のためだけに無理やり決めたような感じもある。)


下の子はまだ慣らし保育を始めようか、というところだったが、本保育に実際なってしまいました。
そして実家が近かったので、下の子はほとんど実家と保育園を行き来していたところでした。


当の本人は病名が決まらない、わからないこともあったので検査を繰り返す日々でした。

この間もずっと、ムクッと、パパママと話しかけてこないかという淡い期待もずっとありました。


視覚も聴覚も失われてしまったのではないか、
聴覚検査の時は、脳には聴こえていますという検査結果でしたが、素人の私には反応があるかないかなんて、全くわかりませんでした。

視覚検査らしきものはした覚えはないですが、
目の前に手を近づけて、瞬きした時は、本当にホッとした記憶があります。


少しずつですが体が動くようになっていたので、数多くのMRI検査では、睡眠薬?を導入して検査にのぞみました。

脳の萎縮。形をみても素人の私にはわかりませんが、萎縮が止まったことを確認して、MRI検査は回数が減りました。


検査結果は、細かく言われましたが、
脳に萎縮が残り?障害を持つこと、どれだけ障害を持つかはわからない。小さい子供は、回復するかもしれない。けど、歩行器なしで歩くことは医師として想像できないと言われました。

私たちも、このネット社会の中自分たちで情報は取りにいきました。

この病気なら、歩ける確率何パーセント。
正常通りの生活戻れる可能性は何パーセント。
正直言って、高くはなかったです。
でも、それを信じてました。

今日現在、歩行器なしで歩いています。
言語を理解する能力はありません。
その何パーセントに入ってくれただけで感謝です。
子供の回復力はハンパないです。


その後、食事も少しずつ変わっていき、自分の口で食べ物を噛み、消化することもできたので、胃ろうや、流動食のお世話にならなくなりました。
今は、他の子と同じ食事をしています。
同じものを食べることができる幸せを感じることができました。

最後に一つ。
この病院だけじゃないかもしれませんが、小児科病棟に保育士がいました。
学校に行けない、保育園に行けない子供のために。
親のストレスを解消するためにも含まれるのでしょう、
絵本を読んだり、ちょっとしたプレイルームで、遊んだり。下の子も少しお世話になりました。


視覚がないかもしれない我が子に、
聴覚がないかもしれない我が子に、
絵本を読み聞かせてくれた保育士に感動したこと、を覚えています。