なんだかなんだか、お酒ものんで楽しいので違う話題も描いてみよう!と。

Premaのベースが私を掻き立てたので書いてみる。

 

最近、藤井風さんにはまって彼の考え方、全てを受け入れる、認めるその姿勢がとても美しいなと思う。

穏やかで自由で、全体を見れる。そういう人が好き。

 

マツコDXさんもすきなんだけど、同じ理由。

他者と自分の境界をきちんと持っていて、余計に踏み込まない。

 

他者は他者でいいし、自分は自分でいいんだと安心する。

 

 

マツコさんが言ってた幸せの定義が

「究極、幸福って何だって言われたら、他者を介在させずに喜びを得ること」

と言っていた。

さっきのブログを書いてて、日々思う愚痴を吐いて見えてきたのはこれだったなと。

 

 

穏やかで、自由で、リラックスできる。そういう庭が自分の中で出来上がっているのに、そこにずかずか入り込まれて、ああでもないこうでもないと言われる

。夫と付き合っていて慣れない環境で鬱がぶり返した時も、早く結婚して子供産んでとしつこい姑。私は毎日生きるだけできつかったし、鬱というのも知っていた。夫も余裕がないので外に癒しを求める。クリスマスなんて一人だった。夫がゲーセンに行ってるときも、私は行きたくないから家にいたのだけど、そのときに姑から電話がかかってきて、なんで一緒にいかないの!?と半ギレで言われた。いや、意味が分からない。私が責められる意味が分からない。

 

 

 

毒な家庭環境で自己犠牲をしないと認められない・・・というか自己犠牲をしても認められない。そういう環境にいたから自分を大切にするとか、人との関係性で対等でいていいとか、そういう感覚が育ってなかった。いまは37だけど、今になって過去を振り返るとどれだけ異常な状態なのか。なぜ私が責められるように言われないといけないのか。全くわからない。

 

 

私の庭に勝手に入ってきて、勝手にわめいて問題だ!問題だ!と喚く人。

そういうエゴが許されるなら

平和でありたいと、穏やかでいたいと願うエゴがあってもいいでしょう。

 

 

そういうことに気づいた。遅いかもしれないけど、小学校低学年から子供は親孝行すべきだとか、母親の愚痴や頻繁に繰り返される小言、無関心な父親、女の子だからと使われてずたずたになった心を引きずって生きても、寄り添って助けてくれるのは赤の他人の数少ない友人だった。とても感謝してる。

友人たちはちゃんと尊重してくれたんだよね。

 

 

これまた藤井風さんのガーデンって曲を聞いて、今の道が間違った選択だったとしても自分のガーデンを枯らさなけらば、それでいいんじゃないかと。だからこそ自分を守ることも必要だと。

美しくいれるように保つ権利があるんだと。そういう愛が必要で、不法侵入されたら笑って相手にしなきゃいい。自分のスペースだから。そもそも心の庭はそういう人が居なくても立派に完結してるもんだ。

Premaもそうなんだよね。自分=愛。それだけでいい。

 

今まで自覚していたものが他者の喚きによって見えなくなっていた。目隠しが外れた感覚。

 

 

そのつもりで生きてきたけど、うやむやになって、今引き戻されたよ。

メッセージをくれる偉大な人たちと、そばにいて共感してくれる人たちと同じ世界に入れることが幸いだなと思えた。

ただただ、穏やかで美しい世界にいたい。