先日、たまたまYouTubeに出てきた宇多田ヒカルさんとユヴァル・ノア・ハラリさんの対談動画を見ていて、特に前半の部分で大きくうなずく箇所がいくつもあった。
様々なアスペクトに話題は飛んでいくのだけれど、大きくまとめると根幹は「創作って何?」という話になっていく。
宇多田さん曰く、創作は問題を解決していくことで、そこには想定外や脆弱性が常にあって、限りなく自己中心的で、それは純粋に me trying to discover things about me in the world な作業。そこに必要な patience や let go が、創作プロセスそのもだとおっしゃっている。
AIに、速さや情報の量、正確さや論理の辻褄というフィールドで人間が勝る望みは無い。でも宇多田さんの専門である音楽という世界では、絶対的に人間が時間をかけて生み出すものだけが持っている何かがある。というのが論旨だ。
対談のお相手は大学の教授でベストセラー作家。自由意志、意識知能についての専門家の方だ。その方の論点と宇多田さんの言わんとすることが噛み合いそうで若干ずれていくところもまた、「人間だもの」という部分で面白かったのだけれど、お二人の会話の中で、「完璧過ぎるとすぐ飽きる」というお話は互いに大きく頷いて盛り上がった。
ハラリ氏はチェスの名手を例に出し、完璧なチェスはAIにかなう希望は微塵もないけれど、世の中の人々はその棋士のバックグラウンドや、彼の通ってきた苦しい道のりや、経験したミラクルや、人間臭いストーリーを欲しがっていると2者を比較する。つまり人がAIに勝っている部分は「私生活」を晒すことでしか得られなくなってきたと。
また、もうひとつの例はAI彼氏。最近ではバーチャル彼氏やバーチャルフレンドがもうすでに浸透しつつある。その背景には商業的な目的があるのだが、ユーザーを満足させて、長くそのサービスに留まらせるためには、不完全が必要だとハラリ氏が言う。
何事も認めてくれて、褒めてくれて、欲しい言葉を最短時間で割り出して与えてくれる「完璧な彼氏」は、あっという間に飽きられてしまうのだそうだ。(そうなのか、それは驚きだ。)
そこで今、その業界が「改良」しているのは、ちょっとイライラしたり、否定したり、怒ったりする機能だそうだ。返事を数秒遅らせるという機能をつけるだけで、そのOutcomeは大きく変わるらしい。人は思うようにならないことをなんとか工夫や努力して思うように収めることで、夢中になり、大きな幸せを感じて、離れられなくなっていく。ツンデレはモテる、ということだ。
さて、長々と動画の話の流れを書いてきたが、ここまで動画見ている間、ずっと私は先月発売されたKindle書籍の執筆中に抱いていたモヤモヤ感を頭の中に思い出していた。
高校時代の同窓生12人の共同執筆で書き上げたエッセイ集、「あれから」。
この作品は、まほろ成吾という執筆ユニットによる4冊目の作品で、過去3作も微妙にメンバーが変わったりしているが、今回は一気に人数が増えて、作品の趣旨も様変わりしている。私は1作目から一貫してまえがきを担当させていただいてきたのだが、今作では初めて自作のエッセイを2編書かせてもらった。1編は全くの創作話で、もう1編は経験を基にした実話エッセイにしたことが、今作での私の楽しみでありチャレンジだった。
今回のメンバーの中には○○のプロと言える専門職についている人が何人もいる。プロの音楽家、大学講師、コンサルタント、事務職、社会活動家、家事育児や会社勤めも30年以上のキャリアを持っていれば、それはプロの仕事だ。でも全員が執筆に関してはプロではない。それがこの企画のキーになっている。私たちは全員が間もなく還暦を迎えるこのタイミングで、「今までやったことないことをやってみよう」と集まった。
Kindle書籍としての作品は出来上がり、市場に出版された。他の11人がどう思っているかを聞いたこともないけれど、私の中では、出版された書籍に付随して、この製作過程や使ったツールやノウハウや、みんなが持ち寄ったそれぞれの専門知識やスキル全部が、作品であり、商品価値があるものだと、製作中ずっと感じていた。
そもそもここ最近私が引っかかっていたのは、こういったクリエイションの場にもAIがあちこちで活用されているという事実だった。私は片田舎の海沿いの街で長い時間社会と離れて暮らしていることもあって、すっかり取り残されているのかもしれないけれど、それにしてもアイデアや本番さながらのサンプルなど生成部分に人工知能がどこかから持ってきた素晴らしい出来栄えのものを使ってしまうことになんだかすっきりしないものを感じていた。
だから今回の書籍が出来上がるまでに5ヶ月近くかけて、全員が書き終えるまでのんびり待って、その間に集まれる人は集まって会議室でホワイトボードやポストイットを使って編集会議をして、距離的に集まれない人のためにオンラインミーティングも何度か重ねて、そうやって作り上げていった時間の楽しさや、昭和的なプロセスや、そこを通過したからこそ出来上がった空気のようなもの自体を公開して、伝えて、オススメしていくことも、この作品の一部だと思っている。雑誌についてくるちょっと楽しみな付録みたいなものだ。
だからこの作品を読んだ人は、作品そのものの、AIからはなかなか生まれてきづらい普通の人が書く文章と、その言葉で語られる普通の人が通ってきた40年の間の印象的な場面を味わってもらってから、Kindleデバイスを閉じた後、ご自分の話を誰かに話したり、一緒に俺たちの「あれから」を作ってみたり、まったく違うツールで誰かと共同作業をしてみたり、そういう風に読後感を味わってもらえたら、作者の一人としては大成功だと思っている。
AIに真の意味でツンデレはできるのか。さぁ、私にはわからないけれど、私たちは知らないことが多すぎて、初めてのことが多すぎて、何をやっても予想外で不完全で、だからこそ、そこがこれからの強みだということだけは今回の執筆を通して改めて自信と確信を持ってしまった。
不完全なまま大人になるのは、とても楽しいことだ。