5月20日、豪雨。ドラマちっくなワンシーンかはたまたタイやベトナムあたりのスコールか、いずれにせよ部屋でソファーにもたれかかりながらブラウン管越しに観ていたような風景を全身で浴びる。現実的に濡れた。のち、bemstarにて演奏。カホン奏者が三人集まるという稀な環境に於いて我が身を見つめ直す。
カホンという楽器はドラムの代用品として位置付けられがちだ。確かに下の方を叩けばバスのような音が出る。上の方を強く叩けばスネアのような音が出るし、優しく刻めばハイハットの代わりにもなる。上部から真ん中に下るとタム回しのような趣を演出できる。つまり、カホンはそれひとつでそれなりに“ドラムっぽさ”を表現できる楽器なのだ。ジャパンでは2000年前後からこの手軽さが評価され、ドラムセットの組めないアコースティックなハコや路上で重宝されるようになった、らしい。
このような性質、経緯を踏まえると“ドラムの代用品”という位置付けは理にかなっているし自然な考え方だと思う。僕もずっとそのような意識で叩いてきた。それはそれで良いものだし、そこに奥深さはあるので今もそのように叩いているのだが、ただ最近になって、カホンをドラムのように叩くことに物足りなさというか小さな違和感を感じるようになった。叩けないドラムの代用品としてカホンを叩き始めて半年以上が経ってようやく表現したいことを形に出来るようになってきた矢先の曖昧な違和感に戸惑いながらもそれは何だろうとずっと考えていて、おそらくこういうことだろうというフワっとした仮定には辿り着いていたのだが、先日のライブで共演したココカラももこさんの色彩豊かな演奏を観てフワっとしていたものが形を帯びてきた。
それはつまるところシンプルな部分の問題で、要するにカホンとドラムはまったく異なる楽器だということ。ありとあらゆる楽器の中では似ている関係にあるが、当然、ドラムにはドラム、カホンにはカホンにしか出せない音があるわけで、だからこそ双方の楽器が存在する。ドラム>カホンという意識でカホンをドラムセットの枠組みに無理やり押し込むのではなく、カホンという楽器の独自性をもっと追求できるのではないだろうか。そのような思いが小さいながらもふつふつと湧きつつあるのだ。
僕はドラムを叩けないが、ドラムの素晴らしさには度々恩恵を受けている。特にライブでのドラム演奏による全身を吸い寄せられるような、否応なしに身体の内側から引っ張り出されるような興奮はなにものにも変えがたい。しかし、カホンではそのような音楽的幸福が得られないかといったらそれは違う。カホンにはカホンでしか体験できない音の感動があり、面白さがある。ギターやピアノのそれと同じように。ドラムセットのことを思い浮かべながらではなく、カホンそのものの音に耳を傾け、演奏者として今一度カホンという楽器自体と対峙する必要を強く感じている。
カホンという楽器はドラムの代用品として位置付けられがちだ。しかし、実はドラムのように叩くだけで詰まるものではない。
と模索するなか、トクマルシューゴさんの音楽と衝撃的な出会いを果たしたのは今日のことでした。

カホンという楽器はドラムの代用品として位置付けられがちだ。確かに下の方を叩けばバスのような音が出る。上の方を強く叩けばスネアのような音が出るし、優しく刻めばハイハットの代わりにもなる。上部から真ん中に下るとタム回しのような趣を演出できる。つまり、カホンはそれひとつでそれなりに“ドラムっぽさ”を表現できる楽器なのだ。ジャパンでは2000年前後からこの手軽さが評価され、ドラムセットの組めないアコースティックなハコや路上で重宝されるようになった、らしい。
このような性質、経緯を踏まえると“ドラムの代用品”という位置付けは理にかなっているし自然な考え方だと思う。僕もずっとそのような意識で叩いてきた。それはそれで良いものだし、そこに奥深さはあるので今もそのように叩いているのだが、ただ最近になって、カホンをドラムのように叩くことに物足りなさというか小さな違和感を感じるようになった。叩けないドラムの代用品としてカホンを叩き始めて半年以上が経ってようやく表現したいことを形に出来るようになってきた矢先の曖昧な違和感に戸惑いながらもそれは何だろうとずっと考えていて、おそらくこういうことだろうというフワっとした仮定には辿り着いていたのだが、先日のライブで共演したココカラももこさんの色彩豊かな演奏を観てフワっとしていたものが形を帯びてきた。
それはつまるところシンプルな部分の問題で、要するにカホンとドラムはまったく異なる楽器だということ。ありとあらゆる楽器の中では似ている関係にあるが、当然、ドラムにはドラム、カホンにはカホンにしか出せない音があるわけで、だからこそ双方の楽器が存在する。ドラム>カホンという意識でカホンをドラムセットの枠組みに無理やり押し込むのではなく、カホンという楽器の独自性をもっと追求できるのではないだろうか。そのような思いが小さいながらもふつふつと湧きつつあるのだ。
僕はドラムを叩けないが、ドラムの素晴らしさには度々恩恵を受けている。特にライブでのドラム演奏による全身を吸い寄せられるような、否応なしに身体の内側から引っ張り出されるような興奮はなにものにも変えがたい。しかし、カホンではそのような音楽的幸福が得られないかといったらそれは違う。カホンにはカホンでしか体験できない音の感動があり、面白さがある。ギターやピアノのそれと同じように。ドラムセットのことを思い浮かべながらではなく、カホンそのものの音に耳を傾け、演奏者として今一度カホンという楽器自体と対峙する必要を強く感じている。
カホンという楽器はドラムの代用品として位置付けられがちだ。しかし、実はドラムのように叩くだけで詰まるものではない。
と模索するなか、トクマルシューゴさんの音楽と衝撃的な出会いを果たしたのは今日のことでした。
