突然、思い付いたのです。
あまりの衝撃に眠れませんでした。
これから述べることは、手元に参考資料もなく、年代なども曖昧な、私の記憶と憶測による筋書きですので、あしからず。
しばし私の妄想にお付き合いください。


ヤマタノオロチというのは、わりと聞いたことがあるでしょう。
高天ヶ原を追放されたスサノオが、出雲を訪れた際に退治したという、首が八つある蛇の怪物です。
出雲というのは島根県のことです。まずここが、一つのポイントです。
さてオロチはどこから来るのか。出雲に巣食う怪物ではありません。古事記には「コシからやって来る」と書かれています。コシとは、いったいどこなのか。
ひょっとすると「越」という字を書くのではないか、そしてそれは、後に越前・越後などと呼ばれた地方を指すのではないか。現在の新潟あたりになります。これが二つ目のポイント。
新潟から島根へ。ずいぶん遠い距離を移動してオロチはやって来るのです。
何をしに来るのでしょうか。

ここからは神話の物語です。
昔、イザナギとイザナミという、二人の神様により、多くの神々が生み出されました。イザナギとイザナミは、要するに夫婦なのですが、兄妹とする記述もあります。これは、神々の子孫である天皇家が代々その血縁の中だけで血を繋いでいたことを考えれば、特に不思議なことではないかもしれません。イザナギとイザナミは、兄妹であり夫婦であるのです。
山の神や水の神など、多くの神々を生み出し、「国造り」が行われました。これは他の国の神話、例えばギリシア神話やキリスト教の聖書にもある創世記と同じです。
日本の国造りが他の国の創世記と違うところは、それが未完に終わっている、という点です。
イザナミは火の神を生んだときに火傷を負い、それが元で死んでしまうのです。黄泉の国へ行ってしまったイザナミを、イザナギが連れ戻しに行くという「ヨモツヒラサカ」のお話は、聞いたことがあるかもしれません。「決して後ろを振り向かないで下さい」というやつです。
国造りが不完全に終わっているから、人間は美しくも不完全な生き物なのだよ、という意味を読み取ることもできるかもしれません。
イザナミは火の神を生んで死んだ、三つ目のポイントです。
結果、イザナギはイザナミを連れ戻すことはできず、黄泉返りは成らなかったわけですが、黄泉から帰還したイザナギが体を清めようとした際、顔を洗うと両目からアマテラスとツクヨミが、鼻からスサノオが生まれ出たといいます。
三貴子の誕生です。
ツクヨミという神様は、ここではあまり重要ではありません。特に活躍もしません。神話には、こういった「中空の神」というのがしばしば出てきます。人物紹介には載ってるけど、結局登場しないキャラ、といった具合です。
活躍しない神は、神話においてどういう役割を担っているのか。
古来、大きな権力を持った家に兄弟が生まれれば、対立するというのはよくあることでした。
本人同士の対立だけでなく、姉を支える者たちと弟を支える者たちの既得権益も無視できない事でしょう。
つまり中空の神というのは、そういった神々や王族という、尊び敬われるべき神聖な人々の、血生臭い権力争いという構図を和らげるために作られた、中和剤の役割としてのキャラだといいます。
重要なのはアマテラスとスサノオです。
姉のアマテラスは、弟のスサノオの乱暴者ぶりに心を痛め、あるいは嫌気が差し、岩の中に閉じ籠ってしまいます。天岩戸伝説です。
「太陽の神が引きこもってしまったら世界が闇にとざされてしまう」
ということで、神々はあの手この手でアマテラスを外に出そうと奮闘するお話です。
やっと出てきたアマテラスでしたが、やっぱり乱暴者のスサノオが気に入らず、国から追放してしまいます。
追放されたスサノオが出雲にやってくると、ある老夫婦が泣いているのに遭遇しました。
「家には八人の娘がいたが、年に一回くらいの頻度でコシからヤマタノオロチがやって来ては、娘を食べてしまうんだ。ついに残ったのは、この末っ子のクシナダヒメただ一人になってしまった」
クシナダヒメを嫁に貰うことを条件に、スサノオはオロチ退治を請け負います。

このあたり、ギリシア神話にあるゼウスの子ペルセウスが、アンドロメダとの結婚を条件に海の怪物ケートスを倒す、というお話と似ていますが、果たして。
ペルセウスはこの戦いの前に、ハデスから兜を、アテナから盾を、ニュムペーから翼の付いたサンダル、そしてペガサスなどのアイテムを集めた後、メデューサを討ち取り、見たものを石化させるというメデューサの首を携えてケートスとの戦いに挑んでいます。
魔法のアイテムというと神話的ですが、現実的に考えると、各地で兵力を集めた、と考えられます。このあたりも、後述するスサノオの進軍に非常に似通っています。

さて、スサノオは老夫婦に八つの酒樽を用意させ、やって来たオロチがそれぞれの酒樽に八つの首を突っ込んで酒を呑み干し、酔っ払ったところを剣で切り裂いて倒したといいます。切り裂いた際に、スサノオの剣が欠けました。何か固いものが胴体の中に入っているのか、と切り開いてみると、中から剣が出てきました。
オロチを退治したあと、この剣はスサノオが高天ヶ原に持ち帰り、アマテラスに献上されました。クサナギの剣と呼ばれているこの剣は、いまでも天皇家に伝わるという三種の神器の一つです。
ここまで聞いて、神器であるクサナギの剣の由来が、ワンステップ無駄に多い事に気付く人もいるのではないでしょうか。
そもそもスサノオが最初に持っていた剣はなんだったのか。これは十束剣(トツカのツルギ)と呼ばれていますが、実は剣の名前ではなく、握り拳10個分くらいの剣、という意味です。英雄の剣には名前がないのです。
代々伝わる伝説の剣は、なぜ怪物を倒した英雄の剣ではなく、怪物の死骸の中から出てきた剣、という筋書きになったのでしょう。四つ目のポイントです。

神話とは、作られた物語ですが、それはかつてあった事実をドラマチックに物語仕立てにしたものと考えられます。
矛盾していたり、回りくどく感じるようなことにも、実は合理的な理由があるのかもしれません。
では、このヤマタノオロチ伝説では、実際にはどんなことがあったのか。

一つ目と二つ目のポイント、島根と新潟。
新潟は米の産地です。また、中国から思想や技術の輸入もあったかもしれません。潤沢な食料と土地、外国の先進技術。国が栄えるには十分な材料です。
つまり新潟から島根の辺りまでを支配していた、超大国があったのではないか、と思うのです。
コシからやって来るヤマタノオロチというのは、支配下にあった出雲から労働力となる住民や食料、あるいは土地などを接収していった強大な軍勢のことかもしれません。
クシナダヒメというのは奇稲田姫と書きます。稲の田んぼです。別の表記もありますが、やはり田の字が使われます。
コシからやって来る軍勢に、資源や奴隷を奪われる、そんなことが年に一度くらいあっかもしれません。
人と物を大量に輸送するわけですから、陸路とは考えられません。おそらく船で海からやって来たでしょう。そしてその船は、中国から輸入した、船首に龍の彫刻があしらわれた軍船だったかもしれません。
それらの船は艦隊をなし、まるで複数の首を持った巨大な蛇が出雲の海岸線を覆い、襲いかかってくるような光景を、当時の人々は見たかもしれません。
彼らはついに服従することをいさぎよしとせず、酒宴を開いて歓迎するそぶりを見せながら、高天ヶ原からの援軍を伴って敵に夜襲を掛け、大蛇のような軍船から武器を奪いとり死闘を繰り広げたかもしれません。
前後しますが、四つ目のポイントになる体内から出てきた剣というのは、海外からもたらされた製鉄の技術、あるいは兵力や武器そのもの、または権力の象徴だったのではないでしょうか。
つまり政権交代が起こったのです。

三つ目のポイント、火の神を生んで死んだイザナミ。
すぐに死んだのではなく、生んだときの火傷が原因となり、後に体を悪くして死んだのです。
これは我が子、あるいは孫、一族に連なるものの中から反逆者が現れたことを意味するのかもしれません。
クーデター、あるいは策謀により排除された、など。
火は武力を意味します。
一族同士での戦争があったのではないでしょうか。とにかく何か悪いことが起こり、イザナミは排除された、というところでしょう。イザナミの生んだ反逆者は、新潟から島根の辺り一体を支配する権力を得たかもしれません。
高天ヶ原は九州ではないか、という説があります。あるいは高天ヶ原は朝鮮半島ではないか、とも。九州は日本の歴史の中で長らく交易の玄関口でした。
いずれにせよ、中国から武力を輸入した東側と、朝鮮から武力を輸入した西側との間で争いがあったのでしょう。それらは元々は一つの国だったかもしれないし、最初から二つの国だったかもしれません。

私たちは、その国の名を知っています。
その国は後に書かれた神話の怪物として、ヤマタノオロチと呼ばれたかもしれません。中国の歴史書にはその名が載っているのに、日本の歴史書には一切登場しない国です。

邪馬台国。

中国の魏志倭人伝には、日本には邪馬台国という国があり、長らく内乱が続いいていたが、女王を共立することで国が治まった、とあります。女王の名は卑弥呼といい、彼女の死後、男王の時代になると再び国は乱れ、卑弥呼の娘を二人目の女王として共立し国を治めた、といいます。娘の名は、台与(とよ)。
卑弥呼は日の巫女であり、信仰によって国を治めました。政治をサポートしたのは、卑弥呼の弟です。娘の名はトヨですが、音読みするとタイヨとなります。太陽の巫女だからタイヨという名前なのかもしれないし、タイヨが日の巫女だから、転じてお日様に太陽と呼んだのかもしれません。

アマテラスにもスサノオという弟がおり、彼は東の大国と戦って勝ち取った武器と権力をアマテラスにもたらしました。
卑弥呼が死んだとされる西暦248年には、計算上、皆既日食が起こったはずだとされています。248年は中国では三國志の時代ですから、魏の歴史書にその名が載っていることは時代的にも辻褄が合います。
アマテラスが天岩戸に隠れて世界が闇に閉ざされたことがこの皆既日食のことだとすると、アマテラスが外に出てきて世界に光が戻ったことは、台与が卑弥呼の後を継いで女王になり国を再び治めたことを示しているのではないでしょうか。
アマテラスとは一人の神様ではなく、卑弥呼と台与、二人の女王を指しているのです。
卑弥呼が国を治めて邪馬台国になったのではなく、昔、邪馬台国あるいはヤマタといった名前の国がもともとあり、それは新潟や島根を含む広大な土地を支配しており、その王権は強大な武力を振るい民を虐げたので、後世の人は、イザナミが産み落とした荒ぶる火の神である、と例えたのかもしれません。それを打ち破り、信仰によって治めたのが卑弥呼だったのです。
そな国はやがて、ヤマトと名を変え、聖徳太子の時代に日本という名になりました。

卑弥呼が天皇家の者だったかどうかは、わかりません。天皇家は男系の一族です。しかし縁のある一族の者であったことは確かでしょう。女王と弟が勝ち取った権力の象徴である剣が、今でも天皇家に伝わっているのですから。
または、卑弥呼は国を治めるために担ぎ上げられただけの、広告塔に過ぎなかった可能性もあります。それでもやはり、当時の人々にとっては、国を治めたヒーローに違いなかったのでしょう。