「まただ……どうして……」

 

私は音大に通う女子大生。

 

三日後にピアノのコンクールを控えていた。

 

そして、今スランプだ。

 

どれだけ練習を積んでも、同じところでミスを繰り返している。

 

苛々が募り、ピアノを叩き壊したい衝動にかられるほどに……。

 

 

努力は才能を凌駕する

 

 

なんて誰が言った言葉だったんだろう……

 

 

もう何か月も前から、このコンクールに賭けていたのに、一向に上手くいかないまま……。

 

 

才能がなくたって、今まで努力でどうにかカバーしてきたけれど

 

それも限界なのかな……。

 

 

 

ピアノをめちゃくちゃに弾き、放心状態に陥っていた時

 

どこからともなく声がした。

 

 

「ピアノに八つ当たりは、よした方がいい」

……。

 

え?

 

この部屋には私が一人きりのはず。

 

確か、部屋の鍵もかけてあるし……

 

 

声のする方に振り返ってみると

 

私より、少し年上の男子が、そこに立っていた。

 

 

「私の気持ちが分かるって言うの?」

 

 

赤の他人とはいえ、この大学になんらかんらの関係がある人物であることには

違いないのに、私は、その男子に、ため口をきく。

 

 

「そうだな、君の気持ちというよりも、ピアノの気持ちなら分かるかもしれない。

多分、ピアノの機嫌は、非常に悪いと思う。」

 

私は、何も言葉が返せなかった。

 

 

「あなた人間なのに、私より、ピアノの気持ちが分かるっていうのね」

 

「ピアノにだって、感情はあるからね」

 

 

随分、妙なことをいうものだ。

 

それでも、この男子との会話が苛立っていた私の気持ちを落ち着かせた。

 

「そうなの。じゃあ、少しはピアノの機嫌でもとろうかな」

 

 

そう言った後、私は自分の中で一番得意な曲を弾くことにした。

 

この曲は、ピアノに目覚めた頃、必死に練習して、音大に通うことに迷っていた

私の背中を押してくれた曲。

辛いとき、苦しいとき、この曲を弾くと心が癒えた。

 

もっとも、今のスランプには、足しにはならないのだけれど……。

 

 

演奏が終わり、男子が拍手をしてくれた。

お決まりの拍手。

それでも、私の心の中の何かが動いた気がした。

 

 

「君は、ゲーテのファウストの話は知ってる?」

 

「さらっとくらいなら、読んだことはないけれど」

 

「そうなんだ、君なら何を差し出そうと思う?」

 

「えーと……主人公は、若さを求めるんでしょ?その代わり命を差し出すのよね?」

 

「まぁそんな感じかな」

 

「そうだなぁ、ピアノのコンクールで自分が納得できる演奏ができたなら、いまの

私の生命線ともいえる、ピアノを二度と弾けなくて構わない」

 

 

彼は、私のその発言を聞いた後、驚いたような表情を見せた。

 

 

そして

 

「君の願いは聞き入れたよ、コンクールはいつ?」

 

「三日後」

 

「そう、じゃあその頃、また顔を出すよ」

 

そう言って、彼は姿を消した。

 

 

願いを聞き入れるって……

何者なんだろう?

 

 

そのあと、夜も遅くなってきていたので、私は、ピアノの練習を止めて、その部屋をあとにした。

 

あの人……見に来るのかな……。

 

 

 

 

それから、二日後。

いよいよ、ピアノのコンクール当日。

 

あのあとも練習したけれど、変わらず同じところをミスしていた。

 

やっぱり、才能ある人には敵わないのかな……。

 

好きだったら、それだけですべてに勝るなんてことは……ないのかな。

 

 

私の名前が呼ばれて、壇上でおじぎをする。

 

すると……

場内の端に、あの男子が座っているのが見えた。

 

私の演奏を聴きにきてくれたのかな?

 

なんて……

思い上がりかな。

 

 

そんなことを思いながらピアノの前に座って、私はピアノに触れた。

 

そして、あの何度、練習してもミスる曲を弾いた。

 

 

これで、最後なんだと思いながら、心を込めて。

一音一音を丁寧に、大切に、ピアノを弾いた。

 

 

いつもミスるところまで、曲が進んだ。

 

 

失敗するかも……

 

でも、迷わない。

 

そのフレーズを弾く。

丁寧に、心を込めて。

 

 

 

気づくと、私はそのフレーズをミスらず弾き終えていた。

 

そして、ピアノの演奏はクライマックスへ。

 

 

最後の音を弾き終えると、場内からの拍手が。

 

 

 

ミスらず弾けた。

 

もう思い残すことはない。

 

深々と頭を下げて、おじぎをする。

私は万感の思いでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

すべての演奏が終り、私は、帰り支度をする。

 

きっと、今回も私以外の誰かが優勝するのだろうと思いながら。

 

 

私は、よくて入賞程度だろう。

 

 

そう思っていたら

さきほど、場内の端で見かけた男子が目に入った。

 

関係者だったのかな?

 

 

「納得する演奏ができたみたいだね」

 

「あなたには分かるのね」

 

「これでも、ピアニストだからね」

 

「そう」

 

「あの約束、覚えてる?」

 

「納得いく演奏ができたら、二度とピアノが弾けなくても構わないってやつよね、

 

覚えてるわ、私、音大やめて、違う道に進むわ」

 

「物凄い、覚悟だね」

 

「それくらいの覚悟をもって、弾いたからいいの」

 

 

 

そうこうしているうちに受賞者の発表が始まった。

 

 

みじめな思いをしたくないから、早めに退散しようと思っていたのに。

 

そう思う時点で、まだピアノに未練があるって証拠なのかな。

 

 

 

順番に名前が呼ばれる。

 

私の名前は、まだ呼ばれていない。

 

 

いくら納得できる演奏ができたって、こんなものだ。

 

私は、部屋をあとにしようとした。

 

 

その時

 

 

優勝者の名前が呼ばれた。

 

 

 

 

 

私は、あの男子と出逢った、ピアノの前に座っていた。

 

そして、またあのミスを繰り返していた、曲を弾く。

 

 

もうミスることは無かった。

 

滑らかに、軽やかに、その曲を最後まで漸く弾けるようになった。

 

 

彼に、お礼言いたい。

 

 

私をスランプら抜け出させてくれたこと。

 

そして……

 

「素晴らしい、演奏をありがとう」

 

最後まで弾き終えると、そこにあの男子が立っていた。

 

 

「この間は、ありがとう」

 

 

「この間?君と僕は初対面のはずだけれど」

 

「ここで一度、コンクールの会場でも一度会ってるわ」

 

「僕は、今日、久しぶりにここに来たんだから、そんなはずはないよ」

 

 

 

ふと、壁の上ほうをみると、彼と同じ顔をした写真が飾られていた。

 

「あの写真は、あなた?」

 

「こんなところにもあったんだ、あの写真は、僕の曾祖父の写真なんだ」

 

「曾祖父?」

 

「有名なピアニストであり、この大学の創設者だったんだけど、戦争で命を落してしまったんだ」

 

 

「そんな……」

 

「もしかしたら、君は、僕の曾祖父と出逢ったのかもれないね、この大学ではコンクール間際なると、彼が出てきて、音大生に質問を投げかけるしいんだ。まるで……」

 

「ファウストと同じ様な質問を投げかけてくるんでしょ?」

 

 

「そうか、君は、彼に会ったんだね」

 

「会ったわ、だからお礼が言いたいなって思ってた、コンクールで初めて優勝したの。いままで、二位どころか、三位にすらなれなかったのに。きっと、あなたの曾祖父にあたる人物のおかげね」

 

あの時の彼が、過去の彼だったのは残念だけれど……

 

でも未来の彼の子孫に出会えたから……

 

 

「未来の君に、ありがとうって言っておくわ」

 

 

そう言いながら、私は、改めて一曲弾くことした。

 

 

 

 

過去の彼に届くように

未来の彼のために心を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※某文学賞に応募してみたのですが

二次審査すら通りませんでした。

 

来年もあるようなら、またチャレンジしたいと

思います。

 

個人的に、気に入っていた内容なので

せっかくなので、アップしました。