最近は起業が流行っており、ブログでは様々なアイデアを公開して起業だ起業だとさわいでいる。

が実際のところそんなポンポン起業が成功するわけでもなく、大半が埋もれてそのまま沈んでいってしまっている。


ビジネスをする人としてみた場合、

目をきらきら輝かせ希望に満ちている人が私は大嫌いです。

逆に目を表向きには人当たりが良く特に希望に目を輝かせず時流を冷静に分析しつつも心の内ではギラギラと野心に満ちた人間が私は大好きです。


必要なのは希望的観測ではなく、時流を判断する能力、性悪説に基づく他社が参入してきたときの競合策、他社と自分を客観的に判断し見極められる千里眼です。


無条件に他者を賞賛し成功者を敬いあこがれるだけでは消して成功は出来ない。

成功者からは失敗を学び成功のパターンを学ぶ。

他者の成功は分析し、失敗は徹底的に調べる。その上で自分のビジネスを見極める。


私も一時は自らが会社を率いて天下を取ることを夢見たものですが、今はそんな気はさらさらありません。

私にはトップに立って一社を率いるような器量はなく、精々会社を広い位置から眺めてどのように進めばよいかを他者や自ら外部環境などを駆使して会社を率いる主君へ進言する軍指摘役割がぎりぎりでしょう。

上のようには言いますが、実際のところ事を起こすにはリスク――つまりは不確定要素をものともせずに動くことがある意味大多数に必要であり、それを起こすエネルギーが必要です。

私にはそのようなエネルギーはない。何か少しでも動いている庇護があればこそ挑戦的に動けるでしょうが、何の庇護もない下で動けるほど私は強くはありません。だからこそ人の下で働く企画屋を目指し頂点のいの一番の企画屋を目指しているのです。


人の生の暮らしの空気が感じられる廃墟は良い。
その中でも私が最も行ってみたいと思うのはやはり軍艦島でしょう。
1810年頃に石炭が発見されたこのしまは明治中期より居住区を含む本格的な開発が成され今手言うところの職住一体の島として発展していく。
当時の最新テクノロジーの粋が詰められたこの島は今でこそ廃墟と化してはいるが、それこそ世界遺産に登録しようという動きが出るほどにその島全体の文化的価値は高く、昭和の生活というものを凝縮しているような印象を受けるらしい。
炭鉱に勤め島の中に篭り豊かな暮らしを営む。半ば村社会のようなその最新居住空間には無いものは無く、人々はその狭い島の中で幸福と豊かさを横臥していた。
労働者は家族をもち、子を持ち、育て…人々には希望があった。
その残り香は廃墟となった今でこそ感じることは出来ないだろうが、その軌跡は十分に感じられるでしょう。
役目を負え静かに眠るその廃墟に一度行ってみたいものです。

そう思ってふとどこら辺がいいかを考えてみた。

京浜東北線や埼京線、中央総武線千葉方面、常磐線、つくばエクスプレス線沿線などは結構値段はいいみたいだ。

とりあえずの希望は2DKくらい。出来れば1室は和室があるほうがいい。

だってコタツでのんびりしながら年越ししたいし。

築年数は10年以内、ただしリホームしているものはOK。

敷礼はあわせて3ヶ月以内、出来ればフリーレント 期間が1ヶ月欲しい。

駅からは徒歩20分以内なら自転車で行くから無問題。


ざっとこんなところだろうか


明日ちょっと探しに出るかな…

マズはコレ を見て欲しい。刻々と増え続ける数字。コレは日本国が抱える借金の数字です。

そう、近年まさに深刻化しているという財政赤字。その借金総額がこれです。

日本の財政赤字は地方自治体などの公債も含めると軽く1000兆円を超えます。

そしてその上で一つの問題となるのが2008年といわれています。

この年に小渕内閣の下発行された国債の償還期限が訪れ170兆円もの国債を新たに発行する必要が生まれるというものです。


さてさてここまで説明すると"ウワ、ヤッベこの国やばくない?"と思うかもしれません。


で、実際のところどうかというと、大してやばくもないだろうというのが私の本音。


そもそも日本は借金大国ではありますが、国民は備蓄大好きな預金大国であり、国債のほとんどは日本の銀行、つまりは間接的に日本人が日本に金を貸していることになります。

もっと言うと日本の債務は大半が"円"であり、円という通貨は日銀が発行しています。

国家財政が破綻するのはその国が借金を出来なくなったときであり、逆を言えば、借金を出来る限りは国家財政は破綻しないということになります。

日本の借金は自国の国民が貸しているカネなのですから、究極的に言えばまだまだ余力はあるということです。


それ以前に、日本の利息支払が国家予算に占める割合は同格付けの先進国と比べさほど悪いものでもなく、財政破綻が目の前というわけでもない。

要は税収を増やし黒字財政にすれば問題は解決する。


そのために必要なのはあまり予算を必要としない景気の促進。

国内の規制緩和、法整備による新しい産業の創生、外交による有利貿易開拓での貿易黒字促進など。

何も金をかけないでも今までの日本の企業がもつ潜在能力を引き出し、マクロ経済のバランスを上手くとることにより、景気の回復を成せば自然と税収は増え、増税なしでも黒字化は出来る。


歳出を削減して増税するなどはもってのほかである。一度失敗しているじゃないか。


そもそもインフラ整備などが先進国中で低水準となっている(道路の整備割合、下水道整備率等)中、この公共事業を切った場合の経済的損失及びそれへの波及効果は計り知れないものがあります。

(まあ無駄な道路ばかり作って国防上必要な空港整備道路整備港湾整備などを怠り下水道整備率すら低い状況には呆れるほかありませんが)


つまるところ無駄なものを減らして必須な整備事業などにお金をつぎ込む場合、財政圧縮の余地があまりないということになります。

防衛費を引き下げるなどもってのほかです。美人の女性が夜のスラムの路地で布切れ一枚でしゃがみこんで襲わないでなんていわれても襲われます。


しかし、私が言っていることは今のまま無駄遣いし続けろというわけではなくまともなもん作れよお前ら…ということなのですが。(そもそも無駄遣いしてなけりゃ少しはインフラ整備率はマシになっていただろうし)



ついでに言うと、どこぞの無知な専門家が"日本がアルゼンチンのように財政破綻してしまう"とか過去の言っているやつが居たが、これは何も把握していないから言えることだ。

アルゼンチンの財政赤字はGDP比にして半分以下、日本の財政赤字GDP比は1.5倍以上…日本に比べかなり優良な数字だ。

"アルゼンチンのように"というならば日本だって当の昔に破綻してて不思議では。というか3倍以上の比率なのに日本が破綻しない理由を直視していないとしか思えない。

ならば何故アルゼンチンが財政破綻してしまったかというと、IMFからの締め付けが直接の原因であり、なぜIMFからの締め付けでこうなったかというと対外債務が多かったからである。

他国にから借りている場合、新たに借りるためにはIMF等の格付けなどで返せますよという保障が必要だが、そもそも他国に貸す立場でそもそも時刻の債務の大半が自国で調達している国にはあまり関係の無いことである。


このように根本的に国家的な用件が違うのに一緒くたに捕らえてしまう人々はどういう考えなのだろう?


いつものようにブログを軽く巡回していると、プレゼント選びが苦手な男のためのネットモール とかいうアイデアがあったので少し考えてみる。


この場合、プレゼントに特化したとい売りでやっているが、何もプレゼント特化だけのモールにする必要は無く、女性用の流行に敏感な様々なサービス(下に書くのとか)で女性の好みを知った上で、プレゼント付アンケートや占いと証した半アンケートによって生の性格ごとの好みの把握などもするとより正確で敏感なプレゼントのコーディネートが出来るのではないだろうか?

アンケートなどで言えば女性ごとの男の装いの好みなども調査できるから、それにそって男性自身をコーディネートするショップなども併設すればいい。その場合、逆のパターンも出来る。


ネットショップで言えば、たとえばプロデュースする有名人などを数人確保して半セレクトショップな物をサイト内に作るのも面白いかもしれない。

その時代の流行の最先端を行く人が選ぶプレゼント、ネットセレクトショップ。

最近はブログでのアフィリエイトが流行っているが、ページの一部としてアフィリエイトのような形で合わせるなども出来る。まあここまでくるとプレゼントとか関係なくなってくるが…。目的を分けて他者とは違うネットモール展開などは可能だろう。




ざっと考えただけでもかなりいろいろ出てくる


しかしアイデアというものは思いつくのはすごく簡単である。

だがそうであるが故にマネも簡単に出来てしまう。

ではどうするかというと、マネをされるまでにそのアイデアのシェアを十分にとってしまう、若しくはアイデアをマネされても痛くないように重要な結果は抑えてしまうなどの手段がある。


しかしコレには欠点があり、まねされる恐れのあるアイデア、若しくはまねされたあとにシェアをとるため、利益率をうす苦するなどといった自体がよくある。

基本的に顧客は差別化されていない商品の場合、安い方もしくはサービスの良い方向に向かう。しかしサービスもある一定以上になると似通って大差ない状況になってしまう。こうなると利益を下げるしかない。


何でも新しいことを思いつけばよいというわけではない。その新しいことでどのようにして利益を上げられるか。そしてそれが模倣された後もなお利益を上げ続けるにはどうしたらよいか。そこまで考える必要がある。


上記の場合、システム的には簡単に模倣できるのでそれこそ楽天のような大手がやってしまえばおしまいである。

というかやってるんじゃないのかなあ、コレって。ぱっと考えただけだから知らないけど。

何社かに就職活動をしてみる。

自分の自己アピールはもちろん企画職に適していることを前面に。

そして今までいた会社で得たノウハウ等を前面に履歴書を書き書き…〆(。_。`)


その中でも一番大本命は㈱YAPPA 。プロジェクト推進へ応募してみた。

3Dの分野で17歳から起業してアレだけの会社にするとは見上げた人物。

たしか、伊藤ハムの御曹司だとか起業資金は親に出してもらったとか取引先がコネで開拓したとかいろいろ言われているが、そんなことを言ったら日本の大企業の御曹司はほとんどでかい企業を作れるということになってしまう。

しかし現状はそうではない。それを加味しても本人の才覚なくしてはうまくはいかないだろう。

是非とも仕えてみたい人物だ。

それにフランスやアメリカに拠点があることなどを見ると、もしかしたら元いた会社に一矢報いれるかもしれない。


まあ、昨日履歴書をおくったばかりなので反応すらないが…


物事を思いついたとき、その物事はその瞬間少なくとも1000人の人が同時に思いついているという。

そしてその内の数十人がその物事をまとめ、整理するという。

その後、数人が具体的な案を作り上げ、実際に行動に移そうとするという。

しかし、そこから実際に行動に移すのは大抵1~3人だという。


企画というものにおいて大切なのはその企画を具体的なモノにする作業であり、そのために必要な物資やそれをすることによって得られる結果などを具体的な形にすることである。


思うことなら誰でも出来る、それから派生することも誰でも出来る。

然し、それでは意味がない。

大切なのはそれを形にし、結果を出すことだ。


コレは企画一般ではなく人生そのものにも言える。

一歩間違えば私も同じ部類になっていたものという意味で私が大切にしている2つのマンガがある。

正確にはマンガの数ページ、断片的なもので話の流れなど和から一シーンだ。


1つは、

学校をやめ、家に引きこもり、自分の才のみを過信して何も行動に移さずに自分の能力を認めてくれる相手が現れることを信じている青年。

然し気が付けば回りはすでに就職し家庭を築き、自分は職も無くさまようだけの無職。

最後の(といっても私の持っているページで、だが)コマでその青年は「自分が無能だと気が付くのが怖かった」と語る。


もう1つは



まったく文章で書いただけでは何のシーンかもどういう状況かもわからないただのコマだ。

しかし、私がそれを得たとき、言い知れぬほどの何かが走った。


思うだけでは何も出来ない。何も起こらない。自らの有能は自らの手で証明しなければならない。

私は運良く自らの才能に気づかせてくれる人物と出会えた。またその人物により自分の致命的な欠陥も思い知った。

運が悪ければ私は一つ目のマンガの青年のようになっていただろう。

しかし、今はもうそれにはなりようがない。

私は私の有能を知ることが出来た。生きていれば、何でも出来る。幸いに私はある程度の事務スキルがあるためにいざというときに職には困らない。

その上、私にはもう失うものはない。もとより私は物理的にも精神的にも何ももっていない。

だからこそ恐れというものをまったく無く、それにより挑戦できる。


私が無能か有能かの証明は今はここでは出来ようがない。

無能かもしれないし、有能かもしれない。

だが私は自らの有能を信じている。


ココで孤軍奮闘する様は私の執筆能力があるとしたら、相当面白いものに成るだろう。

ココを見た人はぜひとも、この舞台を楽しんでいただきたい。

観客のいない一人芝居ほど空しいものはないのだから。

何社かに求人応募の書類を出していてふと思った。

転職に何を求めているかということを

数秒考えた後に直答えが出る。


"今までの自分の経験のすべてを生かせる事を求めること"


全部は無理だろうと思われるかもしれないが、私はそうは思わない。

現実とはいろいろなものが複雑に入り組んで成り立っているものであり

無駄だと思っているものも実は世界単位で見ると小さなものではあるが一つの歯車として機能している。


だから転職に私は把握できる限りでの多くを利用できる環境での転職を望みたい。


そのためには結局のところ自分自身を見極めなくてはならないのだけど・・・


テーマにあった ので綴って見る。

もし、もう一度体験できる日が一日あるのだったらば5年前の冬、北海道の寒空でぼうっと夜空を眺めていた夜を挙げる。

他人にはなんてことは無いのかもしれないがその日の夜空はすっと晴れ渡っていて、まるで何もかも吸い込んでしまいそうなほどに幻想的だった。

あたりはシーンとしずまって、月明かりのほかに明かりは無く冬の寒空で澄み渡った空気が熱を奪っていき、いつもなら常に志向が行き来している脳みそがクリアになって何も考えずにその夜空のみに集中することが出来た。


この世界にまるで自分ひとりしかいないような今刹那寝転がっている自分は本当はいなくただ広い中で無心に漂っているような…そんな不思議な感覚がした。


なんてことはない夜空。しかしあの時あの心でなければあのように何も考えずにただひたすら夜空と対面することはもうかなわないだろう。

だからこそあの日をもう一度体験したみたい。