高校生の頃から双極症が始まりました。

学校を1週間休んだり、遅刻が多かったり。

疲れて身体が動かなくなってしまうんです。

軽躁のときの行いを悔いて自分が罪深い存在だと、ひとり授業中に人知れず泣いていたり。

父や彼氏など親しい人の何気ない一言に逆上して、無謀な行動をしたり。

明らかに双極症でした。


初めて病院にかかったのは21歳のとき。

失恋してうつ状態になっていたところを、

「こんな忙しいときに甘えるんじゃない!」

と主治医の先生に怒られたのも、今ではいい思い出です。

数年後、大学院のストレスで同じ先生にかかったら、今度は「大学院は競争社会だから大変ですね」と、デパスを出してくれました。


それからも行く先々で不安障害やうつと言われ、薬を飲んで来ました。


ここ5年通っていた一つ前の病院では、サインバルタを増やしてもらうたびに躁転して元気になっていたので、私は軽躁状態が治った姿だと勘違いしていました。

さらにサインバルタが上限になった後はアモキサンという抗うつ剤を上乗せしてもらって…

とにかく軽躁になっては、がむしゃらに働きました。

それから無理が祟って働けなくなり、雇用保険をもらってまた就職して…ということを繰り返して。

繰り返しているうちに、どんどん職の条件も悪くなり、雇用保険も傷病手当も貰えなくなってしまいました。


一つ前の先生に、病院にかかっているのに、何でどんどん悪くなるのか?と文句を言ったというか疑問を投げかけたら、文句が出てくるんならば双極症と言われました。

何とも腹ただしいと言うか、人の神経を逆撫でしてくるいやな物言いですね。


でも私もそこでへこたれませんでした。

双極症ならば採血しながら投薬しなければと、自分が以前から良いと思っていた先生の病院に転院し、そこで双極症と受動型ASDとわかりました。


双極症も受動型ASDも54歳になってから知ったことです。


最初はせっかく双極症なのがわかったので、気分安定薬を使い始めました。

しかし、リチウムは甲状腺機能低下、ラモトリギンは薬疹が出てしまうなど、使える気分安定薬がなくなってしまいました。


樹さんはもう54歳だから…と、先生も気分安定薬を諦め、私も仕方ないなと思いはじめました。

2週間前にラツーダを出してもらい、今はそれが少し効きはじめたところです。


心理士の先生にも手伝ってもらい、復職に向けて色々と準備はしていますが、自分としては、仕事!必勝!!みたいな気持ちではなく、これからはどんな自分でも穏やかな日々を過ごせるにはどうしたらいいかと模索しています。


双極症も受動型ASDも、40年近くわからなかったことに何とも思わないとは言いません。

もっと早く知っていればという思いももちろんあります。

だけど知らなくて良かったこともきっとあると思うので。