ノボの気儘な音楽トーク 29号: ハイドンの交響曲第45番《告別》 | 生き活きノボのブログ

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 ベートーヴェンのピアノソナタ第26番《告別》につきましては、前号で勝手なことを述べましたが、実はハイドンの作品にも《告別》と呼ばれる交響曲があります。ベートーヴェンの《告別》ほどには一般に聞かれていませんが、ハイドンの曲としては有名な方であり、ごく稀ですが、FM放送やTVでも流れることがあります。その流される理由としては、第4楽章の風変わりな点に着目し、面白おかしく、興味を持って聴いていただくというのが主でしょうか。

 1772年に作曲されたこの《告別》は、ハイドンとエステルハージ・ニコラウス侯の大らかな人柄を示す逸話を残しています。ベートーヴェンの《告別》とは事情が異なり、ちょっぴりユーモラスですね。ニコラウス候は、夏の別荘として、ノイジードラー湖畔に壮麗・豪華なエステルハーザ宮を建て、夏の6ヶ月を過ごした。その間、ハイドンはじめ楽員達もお供したが、そのほとんどが家族と離れて単身で来ていました。1772年の夏は、どうした訳か、6ヶ月の滞在が2ヶ月延長されることになった。この命令は、秋風が吹き、もうすぐ家族の元に帰れると思っていた楽員達を絶望に陥れた。一同は楽長のハイドンにどうにかしてほしいと請願し、談合するも良いアイデアは浮かばなかったという。ハイドンは数日間考えた末、音楽の力を借りることを思い付いた。

 こうして出来たのが《告別》です。ノボは、上記の逸話がなくとも、この曲は好きですね。嬰ヘ短調という変わった調性の短調ですが、第1楽章の出だしからして何かを訴える悲壮感らしきものが迸ります。勿論、ソナタ形式で曲が発展し、すれも簡潔で素晴らしい。第2楽章では静かな音楽が、別荘生活にも秋の風が忍び寄り、そぞろな気分を誘います。そして楽しい筈の第3楽章のメヌエットも、複雑な想いが漂い、何となく沈みがちです。そして第4楽章のプレストは、はやり憂いを帯びた第一主題が中心になって、フィナーレらしく速いテンポで終始し、再現部も無事終わる。本来ならば、ここでコーダとなって、全曲が終了する筈です。が、ここから問題のアダージョが始まるのです。憂いを帯びているが、穏やかな美しいメロディが現れ、しめやかに全パートで演奏される。しかし、音楽が進むにつれて、楽員が譜面台のローソクを消して、一人また一人と静かに去っていく。最後には、指揮者のハイドンとヴァイオリンのルイジ・トマジーニのみが残って消え入るように曲が終了する。

 ディースの著作(ハイド=伝記的報告)によれば、実際には、交響曲ではなく、新種の六重奏曲であったという。最後のローソクを消してトマジーニが退場した後、ニコラウス候は「お前たちがみんな立ち去るなら、われわれも立ち去らねばなるまい」言われた。そして楽員の集まった控室に行き、笑いながら「ハイドン、余にはわかった。明日はみんな帰ってよろしいぞ」と言われたという。演劇を取り入れたハイドンの機知と、それを理解する侯爵、何とも素敵な取り合わせではないか。(平成2711月4日)