ノボの気儘な音楽トーク 24号: ベートーヴェンのピアノソナタ《告別》 はじめに | 生き活きノボのブログ

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 ノボの長女が、現在、ベートーヴェンの『ピアノソナタ第26番変ホ長調〈告別〉』の演奏に取組んでいるというので、久し振りに『告別』をCDで聞きました。集中して聴いたせいか、ノボの理解が少しだけ深まったようで、それを紹介することにします。

 まず、『告別』を楽しんで聴くためには、それが作曲された背景を知ることが適切と思います。ベートーヴェンのピアノソナタには愛称のあるものが数多くありますが、そのうちベートーヴェン自身が付けたものは2曲だけしかありません。『第8番《悲愴》』とこの『告別』です。ベートーヴェンが『告別』にタイトルを付けた事情は、ベートーヴェンの弟子であり保護者、理解者でもあったルドルフ大公にあります。1809年ナポレオンがウィーンに進攻し、ルドルフ大公は5月4日にウィーンを離れました。そして翌年の1月4日に、ルドルフ大公はウィーンに戻ってきますが、この間のベートーヴェンの想いを音楽にしたようです。『告別』は3つの楽章からなっていますが、それぞれ、告別(Das lebewohl)、不在(Abwesenheit)、再会(Das Wiedersehn)と楽譜に書かれています。手元にあるヘンリー版のピアノ譜にも確かに記載されています。このうち第1楽章の『告別』だけがタイトルになったようですが、正確を期すならば『告別・不在・再会』とすべきなのかも。

 平和ボケのノボにとって、ナポレオンのウィーン進攻の重大性などピーンと来ません。現代風に言えば、どこかの国が日本に進攻してきて、東京から天皇一家が避難するような一大事でしょうか。とすれば、大変な動乱の世の中での出来事になります。実は、ベートーヴェンの先生でもあったハイドンも、このウィーン進攻に出会っているのです。グンペンドルフの自宅にいたハイドンは、5月10日の朝7時頃、砲弾が落ち、その大音響に大きなショックを受けています。そしてすでに老境にあり、弱っていたハイドンは、そんな状況下の5月31日に、77歳で亡くなりました。喩えるならば、戦争末期の日本で、米軍の過酷な空襲を受けながら、死にゆくというものでしょうか。ベートーヴェンにしても、耳の病の故もあり、砲火の炸裂する激しい音に耐えきれず、下宿を出て、弟の家の地下室に逃れたといいます。

 想像を絶する厳しい環境、頼れる人に去られた状況において、まさに『告別』は書かれ始めたのです。そしてルドルフ大公の帰還の後に仕上げられました。作曲年代が1809年から1810年ですから、ベートーヴェンが3940歳の頃の作品ということになります。この頃は、中期と後期のあの傑作群の狭間にありますが、ゲーテとの接点があった時期でもあり、彼の詩に因んで曲を作っています。もっとも、ベートーヴェンとゲーテの性格は、直接出合うと、合うはずもなく、あまりにも不仲だったという。

それはさて置き、さっそく、『告別』の音楽について、気儘に語りましょう。若干、音楽用語が出てきますが、ご勘弁を。 (平成271013日)