久々に渋谷を歩いた。
高校が渋谷から近かったこともあり、高校生の頃は毎日のように渋谷にいた。
特に特別な街ってわけでもなかったし、深く考えたことがなかったが、久々に訪れると景色がかなり変わってて驚いたし、新しい発見が多かった。


渋谷は地名の通り谷底にあり、スクランブル交差点だったり、独特なカルチャーだったり他の都市とは違う魅力がある。
他の都市というのはすごく説明的で、例えば鉛筆を鉛筆として使用して、どれぐらい効率的かつ、最大限使えるかみたいな感じで、一見最適化のようないいことのように思えて、豊かさに欠けている。歩く人々は下を向き、目的地へと急ぐわけだが、渋谷は何か違って、何かものがあったとしてもまずそれを何とするかというところから始まって、私たちに新しい発見を与えてくれるような気がする、寛容的で、コンプレックスはアイデンティティとして受け入れられる。
がしかし、その寛容さが、ハロウィンの騒ぎのようなものを生み出してしまっていることは、非常に残念である。

さて、本題の『GL』だが
コレは、渋谷の街を歩いていると、GLという概念がなくなりつつあるように思えてきた。
それは圧倒的な地下空間で街が繋がっていたり、歩道橋を歩いていると、ビルの中や、小さなまちのようなものが現れたりなど、もはや、GL=人が歩く空間というのは成り立たなくなりつつあった。
そう考えると、将来的にはどこをGLとするかというところに作家性が現れたりするのかなと思ってしまった。
何か新しい可能性を感じた。

まちは銀座線&井の頭線と、JRのクロスした、十字形の線によって4つに分けられており、代官山側の方は静かな空間で、109側はザ渋谷という、高校生の頃に感じていた渋谷の街が残ってて、原宿青山側は原宿寄りの渋谷で、大人が多い感じ、そしてヒカリエ側は新しく2つのビル出来てることで、新しいものが生まれようとしていた。

都市はもう、人間の成長スピードをはるかに越していて、私たちに新しい魅力的な体験をさせてくれるが、かけ離れた非現実空間のようにはならないで欲しい。


写真 渋谷ストリーム  おにぎり