座右の銘選びは、疲れたからまた今度に。


今日は、駅周辺のドトールコーヒーで勉強。


成果は、

スペイン語レッスン2個分

勉強用本、20ページほど

読書


明日への負債が、レッスン2個分


池上さんの番組は面白い。バカっぽい番組ばかりじゃなくて、


ああゆう番組が増えればいいな。


といいつつもバラエティ番組を見ていないわけではないが。


あと、NHKの経済系の番組を見ていたら、


仕事でスペイン語を話して電話していた人が映ってた。


本当に使っているところを見るとやる気がでるね。


ただ勉強してるだけじゃ、実際しゃべれるようになって仕事で使えるのか?


って思うし、実感わかない。


勉強にも2種類あると思う。


ひとつは、学問として体系化されたものを勉強する、という意味での勉強。


学校で勉強する語学や数学やそんなもの。


主に暗記や技法の習得など。


個人の意見や推測などが入り込む余地のないものだが、大事なもの。


基礎的、、、ではない。学問的、、、というと、そのままか。


もうひとつは、自分の知識として組み込むための、知識欲を満たすための勉強。


勉強と呼ぶべきではないかもしれいけど、世の中のすべての出来事や仕組みを


知ることによって自分の頭で考える材料にする。


学ばせてもらう。


そのニュアンスから勉強と呼べると思う。


知りたいこと、好きな分野、興味のあるものについて勉強をする。


クリエイティブな勉強、自分勝手な勉強ができる。


何の制約もない。


新しい視点に立てる、この言葉の意味がちゃんとわかってきた気がする。


昔は、何かっこつけて話してるんだよ、何が新しい視点だよwって


思ってたけど、色々と勉強することによって


一見まったく違うものが関係あったり、関係性を勝手に見つけたり。


もしくは、今まで真実だと信じていたものが、結局は主観的で一方に偏った見方だったり。


池上さんも言っていたな。


本を読んで、いろんなことを知ることによって、世の中のいろんなものについて


(ほんとは、絵なんてないんだけど)


自分だけの絵(全体像)を創り上げるんだ。


つまり、世の中のものは、お互いに影響し合っている。


自分の中で勝手に「ああ、この思想がこの国には、昔からあるから、


こいいう考え方をして、戦争をしているんだ」とか


「こういう考え方が現在は、当たり前になっているけど、


この宗教の影響もあるのかな」とか


多面的な考察ができるように、、、


なった気分になれる。


もちろん、それらが真実かどうかはわからないし、


結局はそれらは全部自分の主観的な憶測なんだけど。


まあ、真実なんてものがあるかどうか、もまた問題だ。


英語の先生は、「The world is made of opinions, not facts」


って言ってた。


確かに。と思った。


今日は、


どんどん支離滅裂な構成になっていくから、あと眠いから、


もうこのへんにしておこう。









このブログの目的は、アウトプットの練習と自分の考えの記録と整理。


でも脱線する可能性大なので、好き勝手に書きたいことを書く、とすでに決めておこう。




自分の信条、座右の銘とは?


今の自分には具体的にそのようなものはない、と思う。


少なくともいきなり聞かれたところで、良い答えを返せる自信がない。


そこで現在の自分の根本にある考え方や思想を整理することによって具体的に言葉として


納得のできるものを考えたいと思う。


まず、真っ先に思い浮かべるものを単純に列挙すると、、、



①努力の大切さ


自分を多少なりとも努力家として評価している。


努力とは、長期的スパンにおいて人生を有利に進めるために行う


未来の自分のための投資である、と思っている。


勉強などをしたからといって「偉い」ことはなく、ただ自己中心的な考えによって


自分のために自分の勉強をしているだけだと思う。


つまり、努力は、社会的に肯定的な態度を受けているために大切なのではなくて、


人生を生きる上で実用的なため大切である。


当たり前じゃん、って言われればそうである。


しかし、努力というファクターが一番大切だとは思わない。



②利他的行為の大切さ


簡単にいうと人を思いやること、これは人間として当たり前のことだと思っている。


そして思うべきだと思っている。


現在の先進国社会は、キリスト教的な基本的人権や善と悪の概念の拡散と定着によって、


できるだけ他人には親切にしよう、という風潮ができあがっている。


そもそも、キリスト教がどうこうしたというよりも、社会が発達するにつれて、


協調性が重視されるのは当たり前かもしれない。


コミュニケーションの進化、社会の成熟。このほうが色々と都合がいいのである。


実際、人を判断する際、自分を犠牲にして他人に親切にする人を「いい人」と呼ぶ。


自分勝手で他人を思いやらない人を「わるい人」と呼ぶ。


人間の良し悪しの判断基準とはなんだろう。


たとえば、料理とかの評価基準ならば簡単だ。


このスパゲッティは、おいしい。この味噌汁は、まずい。


この場合では、「おいしい」が肯定的表現であり、「まずい」が否定的表現である。


人間では、、、


社会的に害がありそうかどうかが良し悪しの評価基準であるだろう。




とまあ、ここまでは最近読んだ本の受け売りである。


実際に利他的行為が大切だという理由付けは、こんなものではよくないだろう。


「いい人」になりたいから(周囲からそう呼ばれたいから)、なんて。


本当の理由付けとしては、単にそれが幸せになる手段であるから。


円滑に人間関係を保つ、なんて言葉にすると変だけど、


人と一緒に楽しくやった方が人生は楽しいし、うまくいく。


森の中で一人で一生暮らして楽しい人なんて(滅多に)いない、と思う。


人間として生まれた以上、他の人と接点をもって生きることは避けられない。


どんな人でも社会の中で自分の存在を認められたいと思うはずである。


しかし、自分の気持ちも大切にするべき、人間は機械ではないのだから。



③人生を楽しむことの大切さ


人生の目的は、お金を稼ぐことでも、地位を高めることでも、第一志望に受かることでも、


有名になることでもない。


それらは、手段であって目的ではない。


目的は、人生という長期的視点から幸せになること。


もちろん上記の手段は生きる上において必要なことであるが、


手段と目的を混同してはならない。


たとえば、ただひたすらお金を稼ぐこと=幸せ、だという人がいるのなら、


それを目的として生きてもいいと思う。


もしそのような人がいるとしたら。


でも、基本的に人間は、当たり前というかありふれた生活の在り方が


一番幸せなのだと思う。


衣食住が満たされて、平和な毎日を暮らす。


体を動かして、運動をして気持のいい汗をかく。


学業や仕事などで身を削る。挫折をする。


仲間や家族とともに過ごす。時には喧嘩をする。


幸せな家庭を築く。


おいしいものを食べる。


夜の星空を見上げる。


仲間との無駄のように思える時間や一日の終わりに夕焼けを見ることなど、、、


全然お金のかからないことが思いのほか大切。と俺は思う。


個人的には、有名人になるとか偉人になるとかお金持ちになるとかよりも

そういう当たり前のもの(思い出とか)が大切だと思う。


しかし、人生を楽しむことにおいて何が大切かは、人それぞれ。


他の人のいうことや他の人の生活パターンに流されて、


自分の幸せを追うことを忘れてしまいがちになる。


勉強するべき→勉強さえしてれば幸せになれるわけでもない。


子供時代の幸せをすべて犠牲にする勉強ならするべきかどうか悩みどころである。


子供の時、失った分の(得られなかった分)の幸せをこの後の人生でキャッチアップできるのなら、


それもいいと思う。


プロになるためにはすべてを捨てて努力するべき→この生き方で満足できるのなら問題ない。


テレビでこの生き方をしている人間を見たからと言って、


すぐ真似するべきではない。


このプロの人は、努力(もしくは目標達成後の達成感)=幸せ、という式が成り立っている。


幸せの在り方は人それぞれ、自分の幸せを求めずに他人の幸せを安易にまねる人は、


幸せになれない。




さて、もう2時なので、信条、座右の銘を決めるという本題に入る前にもう寝ることにしよう。


結局言いたいことを勝手に言っただけだったw


また今度決めることにして、今日はここまで。



関係ないが、


明日の課題

スペイン語レッスン4個分

勉強用本を一章分+今日の遅れ

英語は2ページほど