死について
本田宗一郎の右腕だった
井深さんのお話しです。
↓
井深大語録
死については、自分でも不思議なくらい関心がない
「私が死んでしまったら、皆は悲しむかもしれないし、迷惑をかけるだろうが、自分はそれでバイバイだからね」
井深にこう言われて周囲はとまどう。
平成3年、井深は友人・本田宗一郎をなくしている。
井深と本田は40年にわたって親交を深めてきたが、よく知られているように、その間柄は一口に友人とも、兄・弟分とも、戦後を引っ張ってきたリーダー同士ともなんとも言えぬ深いものがあった。
井深は自著「わが友本田宗一郎」の中で本田の死についてこう回想している。
自分のやりたいことを遠慮なくやった本田さんですが、お亡くなりになる二日ほどまえの真夜中に、本田さんは奥様に「自分を背負って病室ん中を歩いてくれ」とおっしゃったすです。
奥様は、点滴の管をぶらさげた本田さんを背負い、病室の中をゆっくいと歩き回ったそうです。
この話は、本田さんのお宅に弔問したとき、奥様から伺ったものです。
最後は「満足だった」という言葉を残して、あの世に旅立ったそうですが、この話を伺って・・・・
「これが本田宗一郎という人の本質であったか」と、とめどなく涙が流れたものです。
また井深は平成6年6月に、自ら最良のパートナーだと言ってはばからなかった淑子婦人にも先立たれている。
夫人は、ひな祭り、お盆、お月見と季節季節の行事を大切にし、その時々のしつらえや料理に心を砕いていた。
「そうか、十五夜か」
同じ季節が巡ってくるとやはり思い出さずにいられないようだ。
長く命を得るということは、次々と人との別れがやってくるということ・・・・
この本質的な孤独感を抱えながら、しかし井深は前しか見ない。
自分のやりたいこと、やるべきことに全力を尽くすうちに、ふと消える。
それが井深にとっての死なのであろう。
======
ぼくに僕にとって大切な人との別れは
死ぬほど辛く、父やおじいちゃんが旅だったときも
これは現実じゃないと思いたくなるほどの
哀しみに襲われました。
でも、必ずやってくるであろう
母や妻という
家族や、仲間との別れ。
今でもやっぱり夜になれば
頭が変になりそうなくらいの恐怖に包まれます。
早くこの感覚からぬけだせるくらい
もっともっと頑張って生きようって思います。

井深さんのお話しです。
↓
井深大語録
死については、自分でも不思議なくらい関心がない
「私が死んでしまったら、皆は悲しむかもしれないし、迷惑をかけるだろうが、自分はそれでバイバイだからね」
井深にこう言われて周囲はとまどう。
平成3年、井深は友人・本田宗一郎をなくしている。
井深と本田は40年にわたって親交を深めてきたが、よく知られているように、その間柄は一口に友人とも、兄・弟分とも、戦後を引っ張ってきたリーダー同士ともなんとも言えぬ深いものがあった。
井深は自著「わが友本田宗一郎」の中で本田の死についてこう回想している。
自分のやりたいことを遠慮なくやった本田さんですが、お亡くなりになる二日ほどまえの真夜中に、本田さんは奥様に「自分を背負って病室ん中を歩いてくれ」とおっしゃったすです。
奥様は、点滴の管をぶらさげた本田さんを背負い、病室の中をゆっくいと歩き回ったそうです。
この話は、本田さんのお宅に弔問したとき、奥様から伺ったものです。
最後は「満足だった」という言葉を残して、あの世に旅立ったそうですが、この話を伺って・・・・
「これが本田宗一郎という人の本質であったか」と、とめどなく涙が流れたものです。
また井深は平成6年6月に、自ら最良のパートナーだと言ってはばからなかった淑子婦人にも先立たれている。
夫人は、ひな祭り、お盆、お月見と季節季節の行事を大切にし、その時々のしつらえや料理に心を砕いていた。
「そうか、十五夜か」
同じ季節が巡ってくるとやはり思い出さずにいられないようだ。
長く命を得るということは、次々と人との別れがやってくるということ・・・・
この本質的な孤独感を抱えながら、しかし井深は前しか見ない。
自分のやりたいこと、やるべきことに全力を尽くすうちに、ふと消える。
それが井深にとっての死なのであろう。
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ぼくに僕にとって大切な人との別れは
死ぬほど辛く、父やおじいちゃんが旅だったときも
これは現実じゃないと思いたくなるほどの
哀しみに襲われました。
でも、必ずやってくるであろう
母や妻という
家族や、仲間との別れ。
今でもやっぱり夜になれば
頭が変になりそうなくらいの恐怖に包まれます。
早くこの感覚からぬけだせるくらい
もっともっと頑張って生きようって思います。
