☆ファンタジスタ☆ -28ページ目

ラファエル・マルケス




ラファエル・マルケス・アルバレス
(Rafael Márquez Álvarez、1979年2月13日 - )

メキシコ、サモラ出身の同国代表、リーガ・エスパニョーラ・バルセロナ所属のサッカー選手(DF)。身長183cm、体重75kg。代表キャプテンを務める。メキシコ国内ではハレド・ボルヘッティと人気を二分する国民的スターである。また、現代表メンバーでいち早く海外移籍した為、ウーゴ・サンチェス以来のパイオニアとして知られている。


http://www.youtube.com/watch?v=RDPDY-EvQTw



★プレースタイル★

カバーリングのセンスにも長け1対1に強いだけでなく、跳躍力もあるため競り合いにも強い。バルセロナではプジョルと共にセンターバックのレギュラーとして活躍しているが、足元のテクニックにも優れ、パスセンスも持ち合わせるためボランチでの出場も多い。ロングフィードの精度には定評があり、バルセロナの大きな攻撃手段の1つになっている。またフリーキックも上手で、まさに弾丸シュートという強烈なボールを蹴る。



★逸話★

前妻のアンドレアはメキシコの人気アイドルで2人の子供がいる。

前妻がメキシコ国内のガソリンスタンドに立ち寄った際に強盗に合い、同行していたボディーガードが射殺される事件が起こっている。

バルセロナNo.1のファッションセンスとクールな雰囲気から女性ファンからの人気が高い。

2004-2005シーズンリーガエスパニョーラ優勝が決定したレバンテ戦ではコーナーキックからのボールをダイビングヘッドでエトオに流しリーグ優勝を決める同点ゴールをアシストしている。

1999年にワールドユースに出場した際には、グループリーグのオーストラリア戦、アイルランド戦でゴールを挙げ、決勝トーナメントではガジェッティら要するアルゼンチンに勝利したが、準々決勝で当時黄金世代と呼ばれた日本代表に敗れている。

2006年のアメリカ遠征の際慈善活動としてチームメイトのメッシ、プジョル、ベレッチ、ザンブロッタと共にヒューストンのがんセンターを立ち寄った際には、その地区にヒスパニック系の人間が多かった為一番人気だった。



★選手経歴(クラブ)★

アトラス(メキシコ) 1996-1999
モナコ(フランス) 1999-2003
バルセロナ(スペイン) 2003-

★選手経歴(代表)★

1997年2月5日ウルグアイ戦にてフル代表デビュー。
1999ワールドユース選手権 ベスト8 4試合出場2得点
2002年日韓W杯 ベスト16 4試合出場0得点
コンフェデレーションズカップ2005 4位 2試合出場0得点
2006年ドイツW杯 ベスト16 4試合出場1得点

★タイトル★

2004-2005 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 スペイン・スーパーカップ - 優勝
2005-2006 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝



アディダス(ボール) +チームガイスト キッズ AS4812


 

アンドレス・イニエスタ




アンドレス・イニエスタ・ルジャン
(Andrés Iniesta Luján、1984年5月11日 - )

スペインカスティーリャ・ラ・マンチャ州アルバセテ出身、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに所属するサッカー選手。ポジションはMF。FCバルセロナカンテラからの叩き上げの選手の一人。


http://www.youtube.com/watch?v=IU5N6Kj9Ejk


http://www.youtube.com/watch?v=7jDRozkofzE



★経歴★

地元のアルバセテBPカンテラでプレーしていたが、12歳の時にバルサにスカウトされる。18歳でトップチームに昇格すると、そのままトップチームに定着した。先発出場は少ないがチームの貴重な戦力となっており、多くの試合で途中出場でチームに貢献する。

U-16・U-19スペイン代表で司令塔として活躍し、ヨーロッパ制覇の原動力となった。

更に2003年に行われたワールドユースでも、セルヒオ・ラモス、セルヒオ・ガルシアらと共にU-20スペイン代表の準優勝に貢献した。

イニエスタはペップ・グアルディオラの後継者として期待されており、そのペップから自らの後継者と認められた経験を持つシャビはイニエスタのファンである。 いずれペップ、シャビを超えるであろう存在として、「カンテラ最高傑作」と呼ばれる事もある。

2006年ドイツW杯のスペイン代表に選出されるが、突破が決まった後の一次リーグ3戦目のみの出場となり、不遇を託った。この大会で彼を投入すれば打開出来たであろう局面は多い。

★プレイスタイル★

卓越したテクニック、キープ力、パスセンスに加え瞬時の判断力もずば抜けており、どんな強固な守備組織であろうと彼を投入するだけで瞬く間に崩れ去ってしまう。


若さならではのスタミナにも定評があり、ボディバランスが良く体の使い方も巧み。05/06シーズンからは得点能力も開花した。


中盤の全てのポジション、左右ウインガーとしてもプレイ出来るユーティリティ性も持っている。


派手なテクニックを見せることはほとんどないが、後ろを向いた状態から相手を引きつけての素早いターンや一人ワンツーで相手を抜き去り、フリーの選手へ的確に配球する。


全体のバランスを取るという意味でのパス回しはシャビに分があるかもしれないが、攻撃的なボール回しの起点としては確実にイニエスタの方に軍配が上がるだろう。


また、小柄ながらも相手の重心の位置やボールの転がり方などを一瞬で判断し、うまく体を使うことで、イーブンボールをほとんど自分のボールにすることができる。


最近は相手がプレッシャーをかけてこないと見るや、スペースへと積極的にドリブルをしかけ、ゴールへとつながる決定的なラストパスを供給するようになってきた。

イニエスタの評価として「グァルディオラのパスとミカエル・ラウドルップのドリブルを持つ」といわれる。

★エピソード★

グァルディオラはシャビに「じきにお前は俺を引退に追い込むだろうが、気をつけないと、今度はあの坊や(イニエスタ)がお前を引退に追い込むぞ。」と語っている。

FCバルセロナのチーム内ではシウビーニョと共にいじられ役である。

チームメイトのエトオは常々ジダンを超える選手になると公言して憚らない。


バルデスに「アンドレシン」とあだ名をつけられる。



★クラブ★

1996-2003 FCバルセロナ B(2部 B) 55試合 / 6得点 
2003-   FCバルセロナ 48試合 / 3得点

★タイトル★

2000-2001 U-16欧州選手権 - 優勝
2001-2002 U-19欧州選手権 - 優勝
2003-2003 FIFAワールドユース選手権 - 準優勝
2004-2005 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 スペイン・スーパーカップ - 優勝
2005-2006 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝



スペインリーグ 05-06シーズンレビュー FCバルセロナ 連覇達成

デコ・ソウザ






アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ
(Anderson Luis de Souza , 通称「デコ」"Deco", 1977年8月27日 - )

ブラジル、サンパウロ州サン・ベルナルド・ド・カンポ出身のポルトガル代表、リーガ・エスパニョーラ・FCバルセロナ所属のサッカー選手。ポジションはMF。身長177cm、体重73kg。2004年にFCポルトからバルセロナへ加入。祖父はインドからの移民。 アジア的な顔立ちから「日本人」とよばれることがある。体に芸者の刺青を掘っているが奥さんの反対にあい、未彩色のままになっている。

http://www.youtube.com/watch?v=k6KJ6OppyjU&mode=related&search


http://www.youtube.com/watch?v=63-YsRBbhcU&mode=related&search


★プレースタイル★

日本では「中盤のバランサー」と称させるように攻守に万能。キープ力にすぐれ、二列目より前なら左右中央問わず、どのポジションも見事にこなし、ゲームメーカーとしても、セカンドストライカーとしても実力を発揮。卓越した戦術眼と強靭なフィジカルを併せ持ち、他のこのタイプのプレイヤーと比べて運動量も豊富で守備にも献身的であり相手の基点を潰す能力も高い。「バルセロナに最も必要な選手はロナウジーニョやエトーでなくデコ」、「11人のロナウジーニョと11人のデコでサッカーをしたら、11人のデコが勝つ」と賞賛する専門家も多い。また、彼のミドルシュートは誰かに当たって軌道が変わってゴールすることが多い。



★クラブ★

ブラジルでは目立った存在ではなく、才能が開花したのは19歳の時ポルトガルに渡ってから。 1997年、ポルトガルの強豪、ベンフィカに入団するが即座に2部リーグのアルベルサにレンタルされる。この時デコは、「ベンフィカに裏切られた」と泣いたと言う。ここで32試合に出場し13得点をあげる活躍をみせ、このままベンフィカに復帰するのではと思われたが、翌1998年は1部のサルゲイロスへ移籍。ここでも活躍をみせるとこのシーズン途中にポルトに引き抜かれ、完全移籍する。

ポルトでも質の高いプレーを見せていたが、移籍初年度の1998/99シーズンを最後にリーグ優勝を果たせずにいた。しかし迎えた2002/03シーズン、監督にジョゼ・モウリーニョが就任すると、リカルド・カルヴァーリョ、、パウロ・フェレイラ、マニシェらのポルトガル代表選手と共にデコは以前にも増してその本領を発揮、見事にリーグ優勝を決める。その勢いで2003/04シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝も達成。さらに、MVPも受賞。

そしてデコは2004/05シーズン、活躍の場をバルセロナに移し、現在にいたる。移籍最初のシーズンには38試合中35試合に出場し、リーグ優勝に貢献した。

FIFAクラブワールドカップ2006にて、惜しくもSCインテルナシオナルに敗れるも大会MVPに選ばれた。

★ポルトガル代表として★

ポルトガルのクラブで圧倒的なテクニックと、想像力豊かなプレーを披露するデコに目をつけていた元ブラジル代表監督のルイス・フェリペ・スコラーリは、ポルトガル代表監督になると同時に、デコにポルトガル国籍取得を要請し、デコはポルトガルに帰化する。


そしてポルトガル代表に選出されたが、当初は中心プレーヤーのルイス・フィーゴやマニュエル・ルイ・コスタから猛反発を受けてしまう。


そのような状況下で2003年3月29日、ついに代表デビュー。


相手は奇しくも生まれ故郷のブラジル。


この試合はポルトのエスタジオ・ダス・アンタスで行われ、デコは後半15分に途中出場して決勝点を挙げ、ポルトガルが2-1で勝利を収めた。彼の活躍が対ブラジル戦37年振りの勝利につながり、一日でチームメイトや国民の信頼を確立した。

その後はEURO2004にも出場。開幕戦のギリシャ戦で後半から出場した後は全試合に先発出場し、ポルトガル準優勝に貢献した。

2006 FIFAワールドカップでは、怪我のため初戦のアンゴラ戦を欠場したものの、2戦目のイラン戦で先発出場すると決勝点となるミドルシュートを豪快に決め、ポルトガルの40年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献したが、次ぐオランダ戦では退場処分を受けている。



★タイトル★

2005-2006 FCバルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝 
2005-2006 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝 
2004-2005 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 FCバルセロナ スペイン・スーパーカップ - 優勝
2003-2004 FCポルト UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝

★所属チーム★

グアラニ (ブラジル) 1985-92
サンパウロ (ブラジル) 1995-96
コリンチャンス (ブラジル) 1996-97
コリンチャンス・アラゴアノ (ブラジル)
CSA (ブラジル)
アルベルカ (ポルトガル)1997-98
サルゲイロス(ポルトガル) 1998-99
ポルト(ポルトガル) 1998-04
バルセロナ(スペイン)2004-

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