私がタバコを止めてから10年。
まぁ私の禁煙話なんかどうでも良いのですが…
東日本大震災からもう10年の月日が流れたんですね。
私の古い過去記事にも書いてたのですが、あの日あの時の事をちょっと綴ってみたいと思います。
ちなみに過去記事は、↓こちら
過去記事には、「話題にしない…、写真も載せない」と謳いましたが、10年が経ち、記憶を風化させないためにも今、もう一度綴っておきたいと思い筆(keyboard)を執った次第。
当時経験した事に今さらながら思いついた事をつらつら思いのまま書き綴っているので、今回はちょっと読みにくいかもしれません。
あしからず。
3.11…
震災のあったあの日、私は単身赴任先の函館にいました。
仕事で約束していた人に会うため準備していたところにいきなりの地震。
「揺れ、で、でかい!」
「やっべ、こりゃヤバいっしょ」
車に飛び乗り、ナビのテレビを入れたら大津波警報が発令している…
函館は、海に面した街。
すぐさま日吉工業団地と言う高台に車を走らせ、カールレイモンの工場の近くから街と海を見下ろしながらテレビを確認。
人が、車が、街と田畑が津波に呑まれていく惨状に震えが止まらない。
これだけの惨状をカメラに収めるカメラマン、テレビクルーも「あぁ~」と声を上げながら写し続けている…
( ・o・)ハッ!
ウチの会社、災害発生時はその被災した地方の系列会社を応援することになっていて、そのメンバーに私も含まれている…てか、中核メンバーじゃん。
まぁ、いろいろ端ょって説明すると、会社戻ってメンバー集めて準備して函館から青森へ津軽海峡フェリーを利用して宮古市と山田町へ向かった訳です。
その間にも色々あったけど…
青森に上陸して…
北海道は本州と海を隔てている関係もあって、食品工場や製油所があり、物流も止まってないため、インスタント麺や缶詰、飲料水などは小売店にふんだんに並んでいたのに、青森のスーパーマーケットには、ぜんぜん無い。
ガソリンスタンドも長蛇の車の列。
物流がストップしていて、物資が入ってこないと、こう言うことになるんだとつくづく思い知らされました。
そして実際に宮古市に入れたのは、3月18日…
震災津波から一週間が経ってから。
それにしても師団規模の行軍は、自衛隊でも初めてだろうなぁ
現地で系列会社の応援に入ってまず最初にやったのは、ウチの会社で受け持つあるシステムの再構築と増援によって被災地への物流や人の往来をしやすくすること。
被災地には、各都道府県の警察・各市町村の消防のほか、インフラの復旧のためのガス・水道・電力の会社が集結するし、その後、ボランティア活動に一般市民も入ってきますからね。
あと、知人・親族を心配して一般人も入ってくるし…
被災地で会社の車の中で寝泊まりしながら10日間活動…
そして函館に戻ってから10日後に再び被災地入り。
震災から概ね2ヶ月くらい経ってからやっとホテルに宿泊できるようになり、現地で給油も可能に。
来る度にガレキや倒壊家屋が撤去され、仮設ながらもコンビニも再開して少しずつ復旧が進んで…
被災地で活動中、現地の人に直接聞いたのは、
「人が来なくて、物が売れない」
「収入が途絶えているので、なんとか観光客に戻ってきて欲しい」
ということ。
最初は救助活動等を邪魔したくないって気持ちからなかなか人は来なくなりがちですが、落ち着いたら現地を訪れるのも良いかも知れません。
因みに過去記事にも載せましたが、ウチは妻と当時の愛犬虎太郎と共に2011年10月に宮古市~山田町~大槌町~釜石市~遠野市を回ってきました。
ガレキだらけだった浄土ヶ浜も綺麗に復旧してました
写真は、長岡駅前
にかほ市象潟の道の駅から鳥海山を望む~
昨年、コロナが無ければ、今年は東北をキャンプツーリングする予定だったのに…
震災10年の今年、せめて車中泊でもいいので来れたら良いなぁ。
東北支援のためにすこーしだけ東北産の食材を食べたり、現地でお金を使って支援つつ食事を摂って応援を続けたいと思っています。
あ、私がタバコを止めたのも震災で現場活動を経験したから。
えーと、被災地へは水や食糧などの支援物資は届きますが、タバコはまず来ないの。
他の人に禁煙を勧める事は無いのですが、あくまで私見として、もし自分が被災したら、タバコを搬送する余力を他の人への食糧や水など役立つモノに差し替えて運んできて欲しいなぁ…
そんな事をなんとなく思ったりもして、タバコを止めた次第。
まぁ、タバコを製造したり運搬するのもひとつの仕事(お金の循環)なので、喫煙者を一切否定するモノではありません。
喫煙者は、タバコの備えも忘れずに。
今回も取り留めない話でしたね。
ではまた!