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たわいも無い日常・趣味と旅・柴犬カムイ・先代犬虎太郎のこと

虎太郎帰幽の一報に際し、皆様から暖かいコメント・メッセージを頂き、ありがとうございました。
ささやかながら虎太郎の葬儀を執り行い、10日祭も終わって少し落ち着いたところでございます。

今回は、虎太郎の最後について、簡単に記させて頂きます。
最後の農試公園
5月27日、最後の農試公園散歩


前々回、「老化すすむ…」と題して投稿していますが、実は老化と呼ぶよりも老衰が進み、私と妻の覚悟を記したのと、ブロ友が「ウチのワンコ、痴呆かも?」と心配されていたので、少しでも安心させてあげたくて、愛犬の老化について記事にしたのです。

さて、ウチの虎太郎ですが、13歳ころから目が見えにくそうにしたり、ボールを追いかけたりすることが無くなったりと、老化を疑える事が目に付くようになりました。
今振り返ると7歳ころが体力のピークだったと思います。

体力が落ちても、今年の5月上旬までは、自力で歩き、食欲もあったのですが…
5月中旬に入った途端、食欲が落ち、水も飲んだり飲まなかったりを続け、自力で歩くことが出来なくなりました。
流星号
妻か私が常に側にいるようにしていました


それでも口元に好きな食べ物を寄せてあげれば、食べてくれたのですが、5月下旬になると、大好きなチーズやミルクの飲食さえ拒否するように…
食事を摂らないので、最後の手段とばかりに、ソフトクリームを虎太郎の鼻先に塗ってあげて、それを虎太郎が綺麗にしようと長い舌で舐める…それを繰り返したりもしたのですが、虎太郎は、それさえも拒否するようになってしまいました。

動物病院で栄養剤と水分の皮下注射(点滴に相当)してもらえば、延命できることは知っていたのですが、こうなってから、夫婦で色々話し合いました。
お互い一致した意見としては、
・虎太郎が嫌がる事はしない
・苦しみを長引かせるような延命をしない
でした。

こうして、「老化すすむ…」の中に記載したとおり、「覚悟」を決めた次第。
ただ、虎太郎は、特別どこか苦しそうにしたり、痛がったりはしなかったのですが、急激に痩せて行く姿を見るのが心苦しかったです。
6月5日
虎太郎が亡くなる前日
虎太郎が大好きだった河川敷を家族で散歩しました


そうして虎太郎が亡くなった6月6日午後6時40分を迎えたのですが、この日私は、夜勤のため虎太郎の最後を看取ることが出来ませんでした。

ただ、私が自宅の2階寝室で就寝中の6月6日午前4時30分ころ、虎太郎が階段を駆け上がって来て、ベッドで寝ている私の顔をのぞき込む、そしてまた寝室を出て行く、そのとき虎太郎は、「じゃあね」と言ったような…って夢を見たのです。
若い頃の虎太郎は、朝、外が明るくなった途端「散歩行きましょう!」と階段を駆け上がり、私や妻を起こしたりしていたのです。

私は、そこで一度目を覚ましたのですが、今の虎太郎が階段を駆け上がれるはずもなく、夢だと思っていたのですが、もしかしたらこれが虎太郎なりの挨拶だったのかな? と勝手に思っています。


↓ここから先は、妻から聞いた虎太郎の最後の様子…

午後4時過ぎ、3日ぶりに大便が出たかと思うと下血が始まったそうです。
下血が続いている中、吐血もはじまり、午後6時過ぎ、息づかいが苦しそうになり、妻が添い寝しながら虎太郎をさすってあげ、その際「コタさん、チューは?」って言ったら、虎太郎は目を丸くして、耳をぴくぴく動かし、涙目になったそうです。
虎太郎は、母ちゃんの「チューは?」って言葉が母ちゃんの顔を舐める~甘える~合図だったので、最後は、母ちゃんに甘えていたのだと思います。

私は、これを妻から聞いて、「やっぱり虎太郎は、父ちゃんのいない時を狙って逝ったんだなぁ」と思いました。
虎太郎は、私に対する態度と妻に対する態度が違い、私には、いつも強がって~男同士のつきあい?~おり、妻にだけ甘えていたのです。
最後まで虎太郎らしい生き方だったなぁと思った次第。
火葬車両
火葬用の炉を載せた特装車


虎太郎の亡骸は、火葬車両を呼んで自宅の敷地で火葬して貰いました。
ペット斎場でも良かったのですが、虎太郎の死をしっかり受け止めたかったのと、50日祭まで自宅に祀ってあげたかったので個別火葬をお願いしました。

それにしても、火葬用の炉を積載した特装車って凄いですよね。
担当して頂いたペット葬儀サービスの人と火葬用車両について話していたところ、会社自体は、ペットをショップに卸す会社なのですが、10年くらい前からペットの火葬サービスを承っているそうです。
きっかけは、社員の多くが仕事柄犬・猫を飼っており、その子たちとお別れがきた時に必要性を感じ、事業として開始したとの事。
担当者さんも3年前、愛犬だったゴールデンレトリバーが亡くなり、自ら火葬したそうです。
お骨あげ
虎太郎に見られているような気がします


こうして、虎太郎もお骨となったのですが…、なんと言いますか、まだ実感が薄い(無いとは言えない)気がします。
近くに居るような、車に乗っていても後ろに乗っているような…
ふと、後ろに気配を感じてみたり。

虎太郎がウチの子になって15年6ヶ月も一緒に過ごしたわけですから、無理も無い話なのかもしれません。
あくまでも個人的な死生観、宗教観ではありますが、虎太郎とはまたいつか逢えるような気がします。
姿・形を変えているかもしれませんし、私が死んでからかもしれない…そんな感覚を持っています。

だから私は、虎太郎に
「ウチの子になってくれてありがとう」
「向こうの世界に先に行って待ってろ」
「生まれ変わるのであれば、父ちゃんと母ちゃんを待たなくてもいいからな」
と言っておくりました。
影絵
虎太郎は、ウチの子だもん


以上が虎太郎の最後の経緯です。

生き物にとって死は、誰しもが訪れる事。
先に逝く者、残される者。
悲しくも受け入れ無ければならず、私たち夫婦は覚悟を決めていたためか、思うところがあるけれど、まぁまぁやり遂げた感があります。

虎太郎とは、またいつか逢えるさ。
そんな事を祈って…

では、また。