さらば、最後のブルートレイン! | Life is good!

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昨夜、今回のダイヤ改正で引退するJRの寝台特急「北斗星」の最後の勇姿を一目見ようと思い、函館駅へ行ってきました。
札幌発上野行きの列車が、午後9時38分ころ函館に到着します。
函館駅では、進行方向が変わり、このディーゼル機関車の反対側に海峡線専用の電気機関車を接続しスイッチバック!
そして~青函トンネル経由~青森へ向かうのです。
北斗星01
専用塗装されたDD51型機関車の重連で牽かれて入線。
このフォルムを見ると、銀河鉄道999に出てきた「666」の機関車を思い出す人もいるのでは?


旅好きの私にとって、高校生の頃まで旅の手段は、もっぱら鉄道でした。
(あと、自転車も…)
北斗星にも何度か乗りました。
でも思い返せば、最後に乗ったのは…
平成3年3月…、高校を卒業してひとり旅に出た時の事。
京都・奈良を回り、深夜京都駅から寝台急行銀河に乗り、早朝の東京へ。
その日の夕方、上野駅から札幌駅まで当時の北斗星3号を利用したのが最後なので、かれこれ二十数年乗っていなかったのかぁ。
「いつかまた乗ろう」と思っているとなかなか乗れないモノだなぁとつくづく思いました。
(行きも帰りも鉄道を利用したので、今思うと結構な乗り鉄だったなぁ…)
あの頃は、寝台特急北斗星も1日に上り3本、下り3本、他に臨時の寝台特急エルムってのも出ていたので、結構な需要があったと思います。
北斗星02
函館~東室蘭間が非電化なため、函館~札幌間は、ディーゼル機関車が活躍!


今回のダイヤ改正で北陸新幹線が全線開通し、新型車両「かがやき」が華々しくデビューした一方で、最後のブルートレインが引退するニュースを見ていると、なんとも感慨深いモノを感じます。
旅が早く快適になっていく一方、振り返る時間を与えてくれないような…、そんな気がするからです。
また、以前読んだ、(株)朝日旅行の創業者 岩木一二三さんが書いた「秘湯をさがして」の一節
 
馬鹿らしくて夜行列車なんか乗れませんよ。
 ジェット機が早くて楽で…。
 と言ったかと思うと、やっばり連絡船はよかったなあ…
 人間の哀感を知っていた乗物だ。
 自分たちが必死で求めてきた近代文明に
 何かが欠けていることがようやく解ってきた
 昨今の日本の姿であろうか。
を思い出していました。
(2012年に長野を旅した時、山奥の温泉に掲げていました。末尾に全文掲載します。)
北斗星03
乗客も窓に思い思いのメッセージや写真をプレートにして掲載していました。
この彦にゃんも多くの人に撮影されていました。


函館に赴任して、「この街は、旅人が多い。故に時代と共に旅の手段方法の変遷を見つめてきた地だよなぁ」と感じます。

かつては、青函連絡船で本州と結んでいた事から、旅人は必ず一旦函館駅で降りなくてはなりませんでした。
それが、青函トンネルの開通と海峡線の開通と共に廃止され、来年にはついに北海道新幹線も開業します。
北斗星04
車体に貼られている北斗星のエンブレム。
上部の539は、青函トンネルの全長53.9kmを現しています。


子供のころは、「北海道にも早く新幹線こないかなぁ…」と思っていました。
いや、今も早く開業し、早く札幌まで延伸、強いては計画路線の旭川まで開業して欲しいと思っています。
でも、まさか新幹線が延伸する事によって、並行在来線の特急列車が廃止される様になるとは、思ってもいなかったなぁ…
北斗星05
FOR UENO 上野行きを現す行き先表示板。


昨日、北海道内のテレビ局のアナウンサーが北斗星廃止を伝える中で、「東京出身の僕にとって、故郷に直接繋がっている列車があることが、心の支えになっていました」とコメントしていました。
でも、東京・関東圏で働いている北海道出身者も同じ事を想っていたに違いないと思います。
私も千葉県や都内に住んでいた時は、上野駅から出て行く北斗星の「FOR SAPPORO」の行き先を見て、「あれに乗れば、故郷に帰れる」と同じ事を想ってましたもん。
誰だって、忘れがたき故郷 なんですよね。
北斗星06
昨年12月26日に撮影した、下りの北斗星。


JR北海道も北海道新幹線開業に本腰を入れたことだし、老朽化した北斗星の車両を更新するほどJR北海道に力は残っていないしなぁ…
しかも、青函トンネルの許容する輸送量・速度から、在来線と共用するの事が難しいと言う問題もあるしなぁ…
これも時代の流れの必然なのだと思う事にしています。

でもいつか、北海道新幹線が全線開業したときには、東京駅で「行き先 さっぽろ」と表示された新幹線を見る事を楽しみにしています。

寝台特急北斗星号…いままでご苦労様。


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  「秘湯をさがして」
          岩木一二三

田舎を捨てた人間だけに人一倍田舎を恋しがる東京人の一人である。
幼い頃に、いろりのそばで母のぞうり作りを見、縄をなう父に育てられたからかも知れない。

しかし、そのふるさとの家も跡かたもなく近代化され、牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。
甥や姪が各々の車を持って走り回っているほどの近代化した日本の社会である。
いったい、老いゆく自分達がどこに安住の地を求め、どこに心の支えをおいたらいいのだろうかと迷いながら彷徨い歩いて三十年の歳月が流れていった。

旅行会社に席を置くために、つい旅行に出たり、旅と結びつけてしまうが、もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ。
炭焼き小屋にでも泊めてもらって、キコリのおじさんとにぎりめしでもほうばってみたいと思うこともしばしば。
馬鹿らしくて夜行列車なんか乗れませんよ、ジェット機が早くて楽で…。
と言ったかと思うと、やっばり連絡船はよかったなあ…、人間の哀感を知っていた乗物だ。
自分たちが必死で求めてきた近代文明に何かが欠けていることがようやく解ってきた昨今の日本の姿であろうか。

それはたしか昭和四十四、五年頃だったと思う。
せめて自分だけでもいい。
どんな山の中でもいい、静かになれるところで自分に人間を問いつめてみたいと思って杖をひいたのが奥鬼怒の渓谷の温泉宿だった。
ランプの明かりを頼りにいろり端で主人と語りあかしたあの日が今でも忘れられない。
目あきが目の見えない人に道を教えられたような思い出がよみがえってくる。
公害のない蓮華温泉の星空はきれいだった。
人間と宇宙がこれ以上近づいてはならない限界のようにさえ思われたのである。
細々と山小屋を守る老夫婦の姿には頭が下がった。
人間としてのせいいっぱいのがんばりと生き甲斐が山の宿に光っていた。
ひとびとの旅は永遠に続いてゆく。
それぞれ目的の異なる旅かも知れないが…。
いづれの日か山の自然と出で湯は、ほのぼのとした人間らしさをよみがえらせてくれることだろう。
秘湯で歴史を守ろうとじっとたえてきた人々の心の尊さがわかって頂ける時代が帰って来たのである。
秘湯を守る皆さんや、秘湯を訪ねられるお客さん方に、私たちが近代社会の中で失いかけていたものは…という問いを投げかけてみたい。

これからの日本に大切なことは何か。
それは、人間が共に考えながら、助け合いながら、築き上げ、守りぬく、ぬくもりのある人生の旅ではありますまいか。

  元朝日旅行会会長