お墓参りに馳せる想い | Life is good!

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たわいも無い日常・趣味と旅・柴犬カムイ・先代犬虎太郎のこと

ここ数日、北海道の最低気温は20度を下回るようになり、夏の勢いもすっかり止まった感があります。
近年は、北海道の夏も熱帯夜が続いて寝苦しかったのに…

1週間くらい前から昼間暑くても夜は涼しい(冷たい)風が吹いています。
思い出してみれば、子供のころの夏ってこんな感じだったよなぁ。
もう空も秋の気配だなぁ…

さて、世の中はお盆休みでしたね。
皆様も行楽地に出掛けたり、普段離れて暮らす家族か帰省してきたり、逆に帰省したりして、賑やかに楽しく過ごされたことと思います。
北海道は帰省してきた人と観光に訪れた人達で、どこに行っても賑わっていました。

我が家は、毎年お盆の混雑期をずらして夏休みを取っていたのですが、今年は上司や部下の都合もあって、
久しぶりにお盆時期に夏休みを取得しました。
ちょうど妻も13日から15日まで休めたことだし、普段義理を欠いていることもあるので、家族で墓参りに行ってきました。
(今回は、いつもの旅ログと違い、故人を回想し、思いを馳せた事をメインに載せていますので、悪しからず…)


8月13日、先ず私の母方のお墓へ。
札幌から約300km北上。
北緯45度にあと僅か…って場所の集落。
墓地の周りは牧草地が広がり、地平線の遙か彼方に利尻富士が…

01雄信内
お墓の前の風景…

小学生のころ、夏休みや冬休みは、毎度伯父(母のすぐ上の兄)の家に泊まって過ごしていたっけなぁ。
(母は末っ子で兄2人)
その伯父は、その昔 大学で自然科学を専攻した人だったので、小学生だった私が遊びに来ると、毎日が理科の授業のようでした。
また、伯父は地元の消防団の団長を務めていたことや家畜診療所の獣医が大学の同期だったことから、いつも必然と人が集まり、色んな人から面白い話や興味深い話を聴くことが出来ました。

02天塩中川
この辺は、冬 日本で一番吹雪く地域…

海や渓流で魚釣りをして、ついでに生物の進化や生態の話。
夜は、満天の星空を眺めて天文学と星座とギリシャ神話の話。
近所の牧場で子牛の出産を手伝ったり、絞りたての牛乳を飲ませてもらったり、牛乳豆腐を食べさせてもらったり。
獣医さんからは、と畜場で衛生管理の仕事をしていたころの経験話を聞かされたり、「生きるとは、他の命を食べることだよ」と教えてもらったり…
田舎ならではの経験… 都会じゃ決して出来ない事を経験させてもらいました。
時には、馬に乗って出掛け(今で言うホーストレッキング?)
、見晴らしの良い丘でお弁当を食べたり…
そのすぐ近くで真新しいヒグマの糞を見付け、「熊が出るんじゃないか?」って恐怖に震えていたり…
目を瞑れば、昨日のように思い出が蘇ってきます。

そんな思い出の多い土地ですが、現在は酪農家も離農してしまい、人々は都会へ去って行き、今や限界集落と呼ばれる地に。
でも、ここで過ごし学んだ経験は、良い思い出でもあり、その後の学業へと活かし自分の人生を豊かにしてくれたと思います。
伯父夫妻が眠る墓に感謝の礼をしました。
(上の伯父の話もいつかしたいと思っています)


続いて旭川の実家へ。
カーナビで設定したら、道なりのルートで172km!
国道40号線をひたすら南下。
途中、バイパス(自動車専用道路)と道央自動車道を経由しても混雑のため4時間も掛かってしまいました。
実家に着いたら、ちょうど父とトムが散歩から帰って来たところに遭遇。
03トム散歩
トムたん、久しぶり!
元気だったかい?

04怒
ハーッ!
(ノД`)怒られた…

富之介(通称トム)も17歳かぁ。
若い頃から見ると小さくなったなぁ…
トムはその昔、私が飼っていた猫なのですが、現在は実家で暮らしています。
詳しくは、過去記事、猫たちのバラード(リンクします) に載せています。
f^_^;

今回帰省して驚いたのは、私たち夫婦が帰省したことに父母が大変喜んでくれた事です。
気が付けば、2年ぶりの帰省。
いつも「同じ道内だからいつでも帰れる」って思っているのが良くないのかも。
(私には、横浜で暮らす兄夫婦と姪・甥がいるのですが、私より帰省しているんですモン)
特に母と妻は、話したかったことが一杯あったらしく、夜遅くまでお喋りを続けていました。
(私は運転疲れであえなく気絶状態…(#^_^#))
それにしても… 久しぶりに親の顔を見ると、一気に歳をとったように見えて、切なく感じました。
他にも思うことが色々と…
うん、また近いうちに帰省しなきゃね。


翌朝、近くの公園を散歩してから妻の父方と母方のお墓参りへ出発。
05花咲公園
虎太郎は、この公園も大好き!

カーナビの案内では、旭川から約120km。
日本海に面した村(現在は、石狩市と合併)の高台の墓地へ。

ここには、妻の父方の祖先はもとより、妻の母が眠っています。
06浜益の墓
生きとし生けるものは一瞬の刹那に生き
死後また生まれ変わるための時間が与えられるのですよ


義母(妻の母)は、60歳で亡くなりました。
死因は膵臓がんですが、その前に胃がんで胃を全摘しています。
義母は、優しく、よく笑い、また大変よく食べる人でした。
ですので、胃がん しかも …発症から5年くらい経っているとみられる… と診断された事に皆驚きました。
一番驚いたのは、本人。
だって…毎年バリウム検査と血液検査を受けていたのですから…
結局、膵臓にも転移しているのが見つかり、胃の全摘後は抗がん剤治療を続けましたが、進行を食い止めることは出来ませんでした。
せめてもの親孝行…と思い、ホスピス(終末期医療)に入院準備を進めていたのですが、それすらも間に合わず病状が急に悪化し、最後はモルヒネや睡眠剤を大量に投与し、寝ている間に臨終を迎えることにしたのです。

そして… 最後の睡眠剤を投与する直前 …最後の別れとなる日… 皆で集ったのですが、私は遅れてしまったのです。
でも義母が、「しゅうさんに会ってからじゃないと逝けない」と睡眠剤の投与を拒んでいたのです。
義母は病室に駆け込んだ私を見て、ニッコリと微笑み、私も微笑み返して「大丈夫です、後から皆逝きます」と声を掛けてあげました。
義母は大きくうなずいてくれました。
ちなみに、睡眠剤が投与され、眠るまでの間、虎太郎の写真にキスをしていました。

義母は、眠りについてから4日後に永眠しました。
妻は、今でも「あれで良かったのかわからない」と言います。

私は「たら・れば」の話はあまりしたくないのですが…
今の時代がんは、早期発見で助かる病気と言われています。
「バリウムで早期発見できていたら…」
「血液検査に腫瘍マーカーの項目が入っていれば…」
そう考えずにはいられませんでした。
また、

「もっと早気付いてあげられたら良かったのに…」
と今でも申し訳なく思っています。
でもね、今一番 義母や先祖に申し訳なく思うのは…
いつか機会があったら話しますね。
(○´∀`○)
07浜益の海
義母の眠るお墓から日本海を望む

義母からは、「病気を見付けるための検査は、恐れることなく早期に定期的に受診しなさい」と、自らの命と引き替えに教えてくれたのだと思っています。


その後、江別市にある、妻の母方のお墓をお参りして帰路につきました。
久しぶりのお盆休みは、故人に思いを馳せ、自らを律することを再度誓う良い機会になりました。