K-1でアーツに敗れるまで8年間負け知らずのキックボクサー。
この黒人格闘家はアーネスト・ホースト同様にどこかインテリジェンスであり、戦略家的な印象がある。そして、格闘技をやるために生まれてきたような男だ。

なんせ1発入れば終わりの可能性が高いヘビー級のキック界で8年間無敗で、その後はMMAを学びあのマーク・コールマンを倒してUFCのチャンピオンにまでなるのだがら。あと、UFCのレジェンド、ランディ・クートゥアとも戦い、負けはしたが判定まで持ち込んでいる。

プロレス贔屓の僕がなぜスミスを記事にして紹介するのかと言えば、この強いスミスを作り上げた場所の1つが日本であり、しかもプロレス界であると言うこと。

もちろんK-1など、プロレス以外の日本の格闘技団体にも上がっているが、それはストライカーとしての参戦。最強のストライカーにして、グラップリング素人の、当時の格闘技界ではよくあるパターン。そんなスミスにグラップリングという新たな武器を装備させるきっかけとなった団体がパンクラスやリングスである。

プロレスを差別しない頭の柔らかさや吸収力、才能や努力などあったと思うが、船木やケン・シャムロック、高阪などに敗れることで、そしてその高阪やフランク・シャムロックと技術交換をすることで、立ってよし、寝てよしと言うより寝技のディフェンスを覚えたあのミルコ・クロコップの前身のような感じで、MMAでもヘビー級チャンピオンにまでなってしまった。

たまにグラップラーにころっと負けることはあったが凄いことである。

そんなスミス、逆に日本のレスラーにも多大な影響を与えている。中でも最も影響を受けたのは第二次UWFに所属していた中で、唯一未だにメイン級で活躍している鈴木みのる。

鈴木みのるのライバルと言えばやはり船木が正解だと思うが、外国人ではスミスだ。
いや、ライバルと言うより若い鼻っぱしと心をへし折られ、自分は弱く、未熟なんだと教えてくれた先生のような存在だったかも。

U-COSMOSで行われた異種格闘技戦にて、鈴木みのるはスミスと戦い、4ラウンドKO負け。何でKO負けになったかと言えば恐怖である。スミスの技術と圧力になす術もなく、びびって自らダウンし、負けを選んだ。
そして悔しさと情けなさで号泣。

その後のSWSでのアポロ菅原戦も鈴木みのるにとって悔しい試合だっただろうが、あれは相手を倒せなかった悔しさ。
スミス戦は自分は強いと思ってたのに強者に何もさせて貰えず怖くて自ら倒れてしまった悔しさ。
スミス戦の方が精神的にきつかっただろう。

後に鈴木みのるはスミスにリベンジすることになるし、キングオブパンクラシストにもなる。
現在のプロレス界でも様々な団体で暴れ回り大活躍している。
計3回のスミスとの戦いが精神的にも技術的にも大きく影響したのは間違いないだろう。

それだけを見ても、スミスの功績は大きい。
格闘技界の、そしてプロレス界でもレジェンドと言っていいだろう。