ゴルドーやパト・スミ同様に日本のプロレス界や格闘技界に名を轟かせたキックボクサー。
特に日本人レスラーと対戦する事で、実力以上の知名度を得た印象がある。

ゴルドーやパト・スミほど強くはないように思うが、ではなぜ彼ら同様に日本でよく知られた格闘家であったかと言えば、日本のプロレス界や格闘技界のターニングポイントとなる試合の、その対戦相手であったため。

藤原喜明や山田恵一、シャムロックなんかと対戦しているが、やはり有名で重要な試合は前田日明戦と佐竹雅昭戦。

プロレス最強を信じていた僕は、前田がニールセンを逆片エビで破ったことは嬉しかったが、トップレスラーの前田がとにかく手こずったことには納得いかなかった。クルーザー級のキックボクサーなんて、1Rで倒して欲しかったと。
まあ、今改めて見れば、1Rに強烈なストレートが入っており、脳が腫れた状態で5Rまで戦ったんだから凄い事だが。

この試合は結局のところ、プロレスのリングで行われた異種格闘技戦、いわゆるプロレスであった。昔を知らない若い総合格闘技ファンが見れば違和感はあるだろう。何?コレ?と。
だが、現代の総合と比べるのはナンセンス。
いくらケツが決まった試合でも、その背景にある人間ドラマは、現代格闘技よりガチであり、複雑である。
この試合が行われたことにより、プロレス界に新たなエースが生まれ、UWFと言う伝説の運動体が本当の意味で誕生。そしてのちに日本格闘技界の2大巨頭の一つ、PRIDEが誕生することになる。

そして前田戦同様に重要な佐竹雅昭戦。
まだ知名度のなかった空手団体、正道会館が団体の命運を賭け、慣れない顔面有りのキックルールに挑んだ試合。

ルール上、圧倒的に不利な状況であった佐竹。だが、体格と若さで勝る佐竹は始めから試合ではなく、喧嘩をしに来ていた。
試合前から余裕と言わんばかりに笑顔を見せていたニールセンと、喧嘩をするつもりの佐竹。
結果、佐竹の反則である頭突きをくらい、抗議をして気持ちが途切れたところを右ストレートでまさかのKO負け。
ルール違反は良いことではないが、結局やった者勝ちである。そして、明らかにニールセンと佐竹では背負っているものが違っていた。

それにしても、この頃の佐竹は本当に強かった。
僕は佐竹は嫌いだったが、なぜかと言うと、佐竹に勝てるプロレスラーはいないんじゃないかと思ったから。PRIDEに出ていた頃の佐竹はあまり強さを見せられなかったが、この頃がたぶん全盛期だったように思う。

負けたら下手すれば解散の可能性があった重要なこの試合を制した正道会館は、プロレスからも演出などを学び、日本格闘技界もう一つの巨頭であるK-1を誕生させる。

この二つの巨大な団体の誕生のきっかけに、間違いなくニールセンは絡んでいる。
現在は亡くなってしまっているが、その功績はずっと残る。歴史に名を刻んだファイターである。