90年代全日のトップ外国人レスラー、テリー・ゴディ。パワーボムの第一人者である。
今も昔も僕が一番好きなレスラー。

スティーブ・ウィリアムスとの殺人魚雷コンビは間違いなく当時の日本、いや世界でも一番強いタッグチームだった。確かWCWのリングで新日に所属していたスタイナーブラザーズと試合をしており、内容はつまらなかったが殺人魚雷コンビが勝った。僕は全日派なので、「ほら、全日の方が強いんだ!」と勝ち誇ったものだ。
また、鶴田から三冠をDDTで奪取したように、シングルでもポストハンセンのポジションにいたと思う。

それだけに、体調の自己管理の甘さから招いたトップ戦線からの脱落、全日の契約解除は残念でならない。まさかその後、IWA JAPANに移籍するなんてことは想像しておらず、とにかくガッカリした。その時に発売したファイプロでも、ケリー・ボギーがIWA JAPANにいて悔しかったことを思い出す。

元々は、殺人魚雷コンビはプロレスの上手いゴディがリーダーで、当然シングルでもゴディの方がタイトル戦線に絡むなど、実績は上だった。
だがいつの間にかウィリアムスの方が強いみたいな流れになっていた。
その証拠に、小橋はゴディにシングルで初勝利後、ウィリアムスに敗れている。あの有名な、バックドロップドライバー3連発の、四天王プロレス幕開けの試合がそれだ。

ゴディが日本人レスラーの出世の踏み台になり、同僚にもそのポジションを奪われてしまったのは、悔しかった。

痛み止めと酒をチャンポンにして飲んでいたようで、小便を垂れ流ししていたなんて話もあり、馬場さんも見るに見かねた部分もあったんだろう。
その結果、若くしてこの世を去った。
もっと魚雷ラリアットやパワーボムを炸裂させる姿を見たかった。

そう言えば、僕が中学生の頃、全日が地方巡業で僕の街に来た。親父に頼んで初めて生でプロレスを見たんだが、試合は全く覚えていない。
覚えてるのは、試合を終えてジュース片手に別の試合を壁に寄り掛かって見ていたゴディの姿だけ。僕は、大好きなゴディが目の前にいることにめちゃくちゃ興奮したが、親父の握手してもらえ!の言葉に対し、なぜか話かけたらぶん殴られるんじゃないかとびびってしまい、結局何も行動に移せなかった。
あの時、勇気を振り絞って握手して貰えばよかったと、今でも後悔している。