昨日は、先月から行こうと思っていた、板橋郷土資料館へ「幕末動乱~開国から鎖国へ~」を観て来ました。
祝日だったので、僕ちんを連れて
僕ちんと一緒だからゆっくり観られないだろうな…と、覚悟して行きましたが、この日はちゃんと手を繋いでくれて、資料館でもわりと静かに一緒に観てくれていました
私達は、都営三田線の「新高島平駅」から、歩いて行ったのですが、高島平駅からバスで、「高島平操車場」を目指した方が楽かもです。
そのバス停のすぐ傍なので
近くには、美術館や堀や公園があり、人で賑わっていました
中へ入ると、すぐに受付があって。
でも、入場料無料なのでカウントだけしてすぐに奥へ!
黒船来航以前から、桜田門外の変や、浪士組結成、そして壬生浪士組結成など。長州側の動きも簡潔に説明されていました。
沢山の書状(中にはレプリカも)の中に、近藤勇、土方歳三のものもあり。浪士組の名簿なんかもあって、近藤さん達の名前が書いてありました。
今月末までなのですが、28日~30日は、土方歳三等身大(?)の写真パネルも展示されるとか!(一応、確認してみた方が良いかもですが)あの、軍服姿で椅子に腰かけている凛々しい土方さんかな?
昨日は、残念ながら観られませんでしたが…
市村鉄之助が持ち帰ったという、あの写真を少し引き延ばしたものが、展示されていて…
なぜか、今まで目にしていた表情よりも柔らかく見えました。というか、想像以上に足がでかくて長くて、恰好良くてしばらくの間、そこから動けなかったです(笑)
長身でモテたという噂は事実なんだなーと(笑)
他にも、板橋に伝わる史実はもちろん、瀬戸物や銃なども展示されてて。近藤さんが刑を受けた時のことや、刑を受けるまでどこにいたか…とか。
二階の展示物も、見ごたえありました
そして、また一階に降りて帰ろうとした時。裏庭みたいなスペースに、藁ぶき屋根の古民家後を発見
↑あの頃の人達は、こーんな感じの家に住んでたんだよなーって。しみじみ思いました♪
↑なーんか、ええ感じですよねぇ
ちなみに、手前の白い石みたいなのは、井戸です。
↑中にも入り、靴を脱いであがることも出来たんですけど、ドラマのセットみたいでした
土間も広くて、大家族で楽しく過ごしたんだろうな…なんて、思って楽しかったです
いつか、京都に古民家みたいなお家を建てて住みたいなぁ。なんて、また夢が広がりました
あと、5日で展示物も片づけられてしまうと思うのですが、この古民家はずっと観られるかと思いますです。
↑詳しくはこちらから☆
そして、次は…
近藤さんと永倉さんのお墓へ。
埼京線「板橋駅」東口改札前にあるのですが…
↑このように、詳しく書かれているのでわかりやすいかとw
もう少し歩くと、左側に…
↑見えてきます
私と僕ちんは、高島平駅から新板橋駅まで乗って、そこから板橋駅まで歩いた為、辿り着いた西口改札に来て、確か東口だったことを思い出し、踏切を渡ってすぐのところで…
↑さくら通りには、永倉新八なるキャラがあり、「俺は日本のサムライだぜ!」と、書いてある広告を発見(笑)
実際、この辺りを永倉さんは近藤さんの亡骸を探すために、歩いたんだろうな…なんて思いながら、その場所に辿り着きました。
と、言っても永倉さんは、確か…北海道で余生を送り、亡くなって埋葬されたはず。でも、「自分が死んだら、土方さんと近藤さんのお墓の傍にお墓を建てて欲しい」と、家族に言っていたそうで…
この板橋のお墓には、永倉さんの遺髪が埋葬されているそうです。
袂を別ってしまった永倉さんだけど、やっぱり…近藤さんと土方さんのことを想っていたんでしょうかね…
↑近藤さんのお墓です。
隣に土方さんの名前も書いてあるんですが…
勿論、土方さんと近藤さんの遺骨が埋葬されているわけではありません。
建立したのは、永倉さんで…
永倉さんは、近藤さん亡き後。ずっと、その亡骸を探していたそうです。
結局、見つけられなかったようですけど、戊辰戦争後も生き残った島田魁さんなどに会いに行ったりしながら、新選組として活躍していた頃の自分達に思いを馳せた時もあったのでしょう。
↑ノートや資料が納められている、「青空書棚」なるもの。
読んでみようと思ったのですが、僕ちんが早く帰りたがったので断念。これらの他にも、近藤さんの石像などがあって、またいつかゆっくりとお花を持って来たいと思いました。
京都で活躍した新選組ですが、江戸にも数々の軌跡が残されている。板橋や、試衛館があった市ヶ谷、土方さんの故郷である日野はもちろん、近藤さんの地元である多摩や、沖田さんが生まれた麻布十番辺りなど。
まだまだ、行っていない場所もあります
これからも、それらを調べてまた息吹を感じに行きたいと思いました