この間、念願だった京都へ。
息子と艶友さんと行って来ました。
艶友さんとは、だいぶ前から「行きましょう!」なんて、言っていたのですが…
なっかなかその機会が掴めず…
この秋、数年ぶりに京都へ。
自分が書いていた物語の中で、何度も想いだけ飛ばしていた場所(笑)
特に、俊太郎さま花エンド後では、主人公ちゃんと二人で再開したり。GWにデートした場所。そのたびに、私も二人をどのあたりへ連れていこうか…とか、いろいろ考えていました。
地図を見ながら、想像するしかなかったあの場所!!しかも、予約したホテルの周りには新撰組所縁の地が沢山あって。艶友さんが案内して下さいました
やっぱり、日野宿本陣へ行ってから書いた「沖田総司花エンド後」の9話、10話と同じように、これから、「古高俊太郎花エンド後」も、現地へ行ってその雰囲気を知ったから、書きやすくなるかな、なんて。
まず、一番初めに行ったのは・・・
京都駅内のトイレでしたw
舞妓はんをモデルにしてはるんやろうか?
さすが、京都!と、心の中で思ってしまいました。
男性はどないやったのか…
それだけが気がかりです(笑)
もしや、新撰組隊士とか??なんて。
そして、駅から歩いて。
向かったのは…
そこから一番近い?と、思われた。
「西本願寺」でした。
ここは、新撰組が壬生屯所から移転した場所でしたね。
かなり広かったです。
辿り着くまでに結構迷いましたから
私は艶友さんの案内に着いていくだけだったので、ほんまに、艶友さんがおらへんかったら…どないなっとったやろか…
↑これなら、見覚えがあるのではないでしょうか?
思わず、「うわぁ…ネットで観とったやつや…」なんて。
山南さんが切腹する原因になってしまったのは、この西本願寺の一角を屯所として選んだ近藤さんの意向に着いていけなくなったから…。
というふうに伝えられている説が一番、よく耳にしますよね。
「十六夜の月」でも、書きましたが、
その理由は、攘夷派の山南さんからすれば…
同じく攘夷を唱えていた近藤さんが、以外にも佐幕派へ。しかも、長州藩士らが集う場所と知りつつこの寺を選んだということに対しても許せなかったのでしょうか。
こればかりは、近藤さんと山南さんに会って真意を確かめない限り、真実は分からないまんまですが…
争いごとを好まなかったであろう山南さんからすれば、やっぱり…着いて行けなかったのでしょうね。
そして、次に訪れたのは…
島原大門。
ここも、インターネットの写真を観ながら、「いいな…行ってみたいな」と、想いを馳せていた場所の一つ。
なんせ、あ…
ネタバレになるから言えませんが。
ある艶がの旦那さまと初めていっぱいお話したり、触れ合う場所でもありますしね。
門はあの頃のまんまなのかな。
「なるほど、これなら塀も乗り越えられるな」と、艶友さんと話してました(笑)
もっとずっといたかったけれど、僕ちんが飽きてしまい;
次の場所へ向かうことに…
大門をくぐって、歩き出すと左側には「誠の湯」という銭湯を見つけたり(笑)
京都駅周辺は、近代的でしたが。
やはり、この辺りは京都ならではの町並みが続いておりました。
この後、艶友さんが行ってみたい場所であり、おすすめの場所があるということでそこへ向かうことに。
それは、「京都新撰組めぐり その2」にて。
また良かったら、覗きにきてやって下さい☆