まずは…
高杉さんお誕生日おめでとうでした
もうそろそろだ…なんて思っていたのだけど…。
昨日、艶や史実の新撰組ファンでもあるnaluさんと、5月ぶりに会って来てそこで、気付いた私
ランチした後。
美味しいコーヒーを飲みながら、一緒にお絵描き
お互いのスケッチブックやノートを交換して、画きました
五月のひの新撰組祭りへ行って以来だね…なんて、話していたんですけど。naluさんとは、艶がだけではなく、史実の新撰組などの話でも盛り上がります
naluさんには、まず…
↑このように、スケッチブックを持参し忘れた私のネタ帳に(笑)沖田さんを書いて頂きました
もう、この目線が…たまりません
そして、優しい眼差しなのにも関わらず、男らしいという
そして、次に…場所を変えて。
私も、naluさんと同じスケッチブックを購入し(笑)
ほんのちびっとだけ、苦笑い気味の表情がきゅんとくる土方さんと、
凛々しい高杉さんを画いて頂きました
もう、どれもこれもあっという間に画いてしまうんです!
土方さん推しのnaluさん
でもそれぞれ、特徴を生かしながらそれでいて、俳優さんをモデルにしたような…。
どこか実写感を漂わせているような…
上手く言えませんが
格好いいんです!!
о(ж>▽<)y ☆
私も、下手ながら…
naluさんのスケッチブックに沖田さんと、龍馬さんを画かせて頂きました
初龍馬さん…。
難しかったぁ
絵は、特に奥が深いですね…。
本当に、艶絵師さま達の凄さを改めて感じました
↑naluさんのブログです
↑これが、そのスケッチブック
早速、高杉さんの誕生日だった(笑)ということで、艶がサイトのアルバム部分にある、ちっこいアイコンを見ながら高杉さんを画いてみました
以前画いた時より、優しい眼差しを意識して(笑)
いやぁ、スケッチブックは画用紙より画きやすかった
あの当時。
弱まる長州藩を救ったのは、この人と言っても過言ではないでしょうね。
「高杉さんについて行きます!」と、同志らが徐々に集まる。功山寺挙兵の時の高杉晋作の活躍は、もうヤバイくらいかっこええ
師匠である吉田松陰から、
「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うのなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と、教えられていたとはいえ…。
周囲の反対を押し切り、無謀だと言われる挙兵を決行してしまうなんて。
さすが、幕末の獅子!
ある意味、坂本龍馬の活躍以上の活躍を成し遂げたのかも…。
本当に、高杉さんに惚れずにはいられませんよね
ということで、ここで少し高杉さんの物語を書いてみました。
「あいらぶゆー(高杉編)」の続編と思って下さい
↑よろしければ、初めての方はこちらからお読み下さい☆
【秋宵】
七夕から一月。
翔太くんから手紙が届いた。
そこには、龍馬さんと共に高杉さんたちと合流したことや、戦況の行方やこれからの動向なども含めて、私への労いの言葉も認められていた。
「…よかった。みんな元気そうで」
あれから、高杉さんは肩の刀傷が癒えないうちに薩摩へと旅立って行った。
勇ましい背中を見送る度に、これで最後かもしれないと覚悟を決める。
その反面、すぐにまた悪戯っぽい笑みを浮かべた高杉さんが、私の部屋へ忍び込んで来てくれるのではないかと、期待してしまうのだった。
そして、読み終わった後。
文面の最後の方に綴られた高杉さんが言ったという言葉に共感し、どうしても会いたい気持ちを抑えることが出来ないまますぐに筆を取った。
返事を認めながら、高杉さんたちを想う。
───あの人のやり遂げようとしていることが実現しますように。
貴方に会えない日々は、想像以上に辛いけれど。それでも、いつも貴方を…貴方だけを思い続ける。
いつの日か、私を迎えに来てくれるその日まで。
「絶対に、約束。守って下さいね……高杉さん」
・
・
・
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「今夜の月も綺麗じゃのう」
「本当だ、満月ですかね?」
翔太は、龍馬の一声に誘われるように縁側へと出ると感嘆の声を上げた。手酌で酒を注ぎながら少し離れた座敷からその様子を見つめる高杉もまた、小さく息をつく。
「飲まぬのなら、俺が全部貰うぞ」
「えいよ、なんならわしが酌をしてやるが…」
「遠慮しておく」
「つれない奴じゃのう」
ほろ酔い気分でおちゃらける龍馬に、高杉は鼻で笑った。
所要により一昨日から下関へとやってきていた龍馬たちは、高杉の滞在する屋敷を訪れていた。
七夕の夜に起こった惨劇のこと、京で待つ惚れた女のことなどを話しているうちに、話題はこの間起こった事件のことへと変わって行った。
元治元年七月十九日。
蛤門の変が勃発。
前年の八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件である。
長州藩内においても、事態打開のため京都に乗り込もうとする積極策が論じられた。積極策を主張したのは来島又兵衛、真木保臣らであり、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、久坂玄瑞らは慎重な姿勢を取るべきと主張した。
六月五日の池田屋事件で新撰組に藩士を殺された変報が長州にもたらされると、慎重派の周布政之助、高杉晋作や宍戸真澂らは、藩論の沈静化に努めるが、福原元僴や益田親施、国司親相の三家老等の積極派は、「藩主の冤罪を帝に訴える」ことを名目に挙兵を決意。益田、久坂らは山崎天王山、宝山に、国司、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原元僴は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構えたのであった。
「しかし、あめりかさんらの連合艦隊っちゅうのには正直うんざりぜよ…」
高杉の隣に腰を下ろすと、龍馬は手酌で酒を注ぎ一気に飲み干した。
同年、八月六日。
昨年以来、またもや、英・米・仏・蘭の連合艦隊が馬関海峡に砲撃を開始し、馬関(下関)戦争が勃発。大勢の長州兵らが抗戦した。
七月、前年からの海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていた英国は、長州に対して懲戒的報復措置をとることを決定。仏蘭米の三国に参加を呼びかけ、都合艦船17隻で連合艦隊を編成し。
同艦隊は、八月五日から七日にかけて馬関と彦島の砲台を徹底的に砲撃、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊した。
馬関海峡の砲台を四国連合艦隊によって無力化されてしまった長州藩は、以後列強に対する武力での攘夷を放棄し、海外から新知識や技術を積極的に導入し、軍備軍制を近代化してゆく。
さらに坂本龍馬や中岡慎太郎などの仲介により、慶応二年一月二十一日に、同様な近代化路線を進めていた薩摩藩と薩長同盟を締結して、共に倒幕への道を進むことになるのである。
これにより、高杉晋作、杉孫七郎、井上聞多、伊藤俊輔等と、英国水師提督との講和会議が開かれ。長州藩と、四国連合艦隊和議成立したのであった。
「その件に関しては、なんかもう、高杉さんの凄さを再確認させられたような気がしました」
「どうじゃ、翔太!高杉晋作ゆう奴はどえりゃあ男じゃろう?」
「はい、普段はそう見えないですけど…」
「おい翔太。それはどういう意味だ」
龍馬はいまだ縁側にいる翔太に話し掛けた後、片眉を吊り上げる高杉に酌を促した。
「まぁ、今宵は飲め!おんしにゃあ、これからもやって貰わなければならんことばかりやき」
「任せておけ」
お猪口から零れるほど注がれた酒を飲み干す高杉に、満面の笑顔を向ける龍馬。
やがて、縁側から戻って来た翔太を迎え入れると高杉は己の思想や願望を話し始める。
「俺達は、なんの為に戦っている?」
「え、それは…」
突然の高杉からの問いかけに、戸惑う翔太。
「平和な世の中を作る為…ですよね?」
「その通りだ。だが、いつの世も人の欲求は尽きぬもの。世俗に惑わされながら生きている」
言いながら、高杉は三味線の弦を調整し始める。
「人がどう言おうが己の信念を強く持ち続けること。今、起こっている問題を解決する為に創意工夫と努力を惜しまねば、おのずと答えは見えて来る」
「そうじゃな。けんど、いつの日かきっと、憎しみ合うよりも許し合える日が来る。わしは、そう思っちゅうんじゃ」
龍馬は、そんな高杉の手元を見つめながら囁くように言うと、やんわりと微笑んだ。弦直しが終わり、しーんと静まり返った部屋にしっとりと三味線の音色が響き渡る。
秋宵の闇の中。
男達の心に浮かぶもの、それは。
───人は人、吾は吾なり。山の奥に棲みてこそ知れ、世の浮沈。
【おわり】
秋宵って、ビールあったよなぁ(笑)
あと、たまにはボーイズトークもええかと思って
今までは、どうしても…主人公に会いにきたあるいは、京の町でばったり会った、というシチュエーションばかりだったので
今回は、お互い遠く離れた場所で…という、感じに。
それも、志士としての高杉晋作を描きたいと思い、少し真面目な雰囲気に
男なら誰かの為に戦ってほしい!!そげな私の願望が強いのですけんども
個人的にも、高杉晋作の起こしたクーデターに驚かされ、一発でついていきたくなるほど惚れてしまったので。
色気は全然無かったけど(笑)
高杉晋作の名言も、いろいろありますね。
そのどれもこれもが、カッコイイです!!
今回は、少し史実にそって書いてみましたが、これからがまた大変な高杉晋作と坂本龍馬。もう、彼らを想わずにはいられません…。
三味線を弾きながら、主人公のことを強く想い描いたことでしょう。