●感情ほほ笑み瞑想で心の地下室に存在した

大きな畏れに出会った


息を吸い、内なる喜びに気づく。
息を吐き、内なる喜びにほほ笑む。


息を吸い、内なる幸せに気づく。
息を吐き、内なる幸せにほほ笑む。


息を吸い、内なる悲しさに気づく。
息を吐き、内なる悲しさを抱きしめよう。


息を吸い、内なる恐れに気づく。
息を吐き、内なる恐れを抱きしめよう。



息を吸い、内なる寂しさに気づく。
息を吐き、内なる寂しさを抱きしめよう。



これは、
ベトナムの高僧
ティク・ナット・ハン師の
瞑想法を下敷きに


矢作雅子氏が考案した

感情ほほ笑み瞑想の文言です。



3,000年前、

ブッダは、

ほとんどの人が、心の地下室(=潜在意識)の奥深くに

「喜びの種子」
「悲しみの種子」
「恐れの種子」を抑圧し


暗闇に閉じ込めて鍵をかけたままにしていると
教えていました。


それで、

瞑想で心のリビングルーム(=顕在意識)の中に

それら、感情の種子を呼び出し、

抱きしめて、
包んで、
コーティングして


また心の地下室(=潜在意識)の世界に帰ってもらう・・。


瞑想でそれを何度も繰り返すうちに


「悲しみの種子」
「恐れの種子」

「寂しさの種子」は、


小さくなっていくという教えがあるそうです。



私が目を閉じ、呼吸に集中しながら

矢作雅子さんの音声を聞きながら

見えてきた心象風景・・・、





前回の記事【悲しみ編】は、コチラ

悲しみの次に出てきた『畏れ』は

黒い玉に一つ目。

全体的にとげとげな感じ。

抱きしめてみても

とげとげした触り心地でした

(あくまでも私のイメージの世界での話ですが・・)

 

 

 

この瞑想は、もともと

 

矢作雅子さん主宰の心理学講座の

 

7月の課題でして、

 

 

何日か続けていると

 

「畏れ」が小さくなる感じもありましたが、

 

「畏れ」が特徴的なのは、

 

いつも「目」がついていて

 

 

「私の意識=マインド・思考」のほうを

 

じーっっと見ている感じがするんですよ。

 

 

なんだか

 

「意識=マインド・思考」がすきを見せたら

 

 

取り込んで

 

いっしょくたになって

「畏れ」の中に取り込む機会をうかがっているような

 

雰囲気を出しているんです。

 

 

そんな「畏れ」を眺めながら

 

「自分の意識=マインド、思考」が

 

上記のような(=ピンクでマーカーした箇所)事を

 

考えている自分も

 

 

同時に


同じ、

心のリビングルーム(=顕在意識の小部屋)に

 

存在している・・・、

 

 

そんな感覚を持ちました。

 

 

【参考図書】