1度目の流産
不妊の検査の結果、
黄体ホルモンに少々の異常がある程度で、
最初の頃は、クロミッドを使って排卵の調整をしていました。
私の体は自力で生理を起こす事がなかなかできないため、
生理5日後位からクロミッドで卵巣を刺激し、卵胞を成熟させ、
うまく成熟・排卵しない場合ルトラールでリセットをかけて・・・・またクロミッドを飲んで・・・・・・
そうこうして、最初の手術から1年半ほど経った頃、
待望の妊娠反応が出、病院でも妊娠の診断が出ました
しかしその日の晩、出血があり再び病院へ
この時期の出血は、ほとんどがどうする事もできないという事で、自宅へ戻り安静。
その後も茶色い出血が続き、週明けには遂には生理のような出血になり、
緊急入院。結局赤ちゃんの袋は見えなくなっていて、そのままソウハで子宮の中を綺麗にする
手術が行われました。
平日だったため、病院へは私1人で行っていての緊急入院・緊急手術。
旦那は建設業のため、病院から車で2時間以上かかる現場に行っており、
到底手術まで間に合いません。
とりあえず、全身麻酔という事なので、
病院の人の許可をもらい、手術室(この時は分娩室でした)の中から
携帯で旦那に電話。
「もう間に合わんから、手術終わって麻酔から目覚める頃までに来て。今から連絡つかんからね!」と言って
1人手術に挑んだのでした。
手術担当の先生は、年配の先生ですが気さくな感じの先生
(この大学病院の産婦人科の先生は、厳しくも優しかったり、気さくだったりと、私はどの先生も好きです)
看護師さんも色々話しかけてくれ、1人でも緊張はそれほどしませんでした。
手術が終わり、目覚めたて少し歩けるようになった頃には旦那も到着していて、
二人で先生の説明を聞きました。
赤ちゃんの袋は見えたものの、心拍(赤ちゃん自身)は確認できておらず、
この時期の流産は赤ちゃん自身に異常がある事がほとんどだという事。でした。
この日の晩は病院へ泊まり、次の日の夕方自宅へ戻りました。
病院では何事もなかったかのように振る舞い、
それまで泣く事を我慢していましたが、家に帰ったとたん涙が止まらなくなりました。
産んであげられなかった事。いくら赤ちゃん自身の異常だとはいえ、
その元は私の体の中の卵。私がダメなんだと、何かとあれば泣いていました。
仕事は体の大事をとり、2週間ほど休みを取っていましたが、
最初の1週間程は毎日のように起きている間はずっと泣いていました。
その間、仕事に行っている旦那もかなり心配していたようです。
そして2週間経ち、流せるだけの涙を流し終えた頃、
家にいてもふさぎ込むだけなので、気分転換も兼ねて職場復帰をし、
そして次の妊娠へ向けて再び治療を再開する気力を溜め始めました。
今後、不定期に続きを書く予定です。