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アプリオリな物理学の由縁

 

何故アプリオリの物理学か。空間は歪まず、速さによって時間が遅れ進みすることなく、時空も存在しないのか。

以前にも書いているかもしれないが、もう一度書いておきたい。

 

空間や時間の存在、あり方は基本的に光の速さや、宇宙の構造やそのあり方よりも上位の存在であり、光の速さや、宇宙の構造などの物理的存在を超越するもので、そのような物理的存在から影響されるものではないと考えるからだ。電磁波の波である光の速さという物理現象の数式、波動方程式を満たすために空間が縮むなどと考えるべきものではないという意味である。たかが一つの物理現象である、電磁波、波の振る舞いによって空間の距離をいじるなどという愚の骨頂を冒してよいのだろうか。空間の存在は電磁波の振る舞いよりはるかに大きい。

少し説明が曖昧だ。よく考えてみれば光は事象であり、空間の存在は事象ではない。時間も事象ではなく事象を測るため、より正確には事象の予測と制御のための道具である。

この空間と時間を電磁波の伝搬や、物体の運動、化学変化などの事象=エネルギー遷移と同列に扱っているのが現在科学である。それでいいんだろうか。

 

空間、つまり距離の存在は光の速さを不変とするために、いじるものではないし、いじられるものではない。空間が歪むというのは端的に波動方程式の解の解釈が間違っているだけである。空間はそのようなものに惑わされる存在ではない。

光の速さは不変であるはずがない。光行差やドップラー効果の起こることを考えれば明白である。

光速が冒さざるべきものではなく、距離、空間こそが冒さざるべきものという思想である。それを証明するのが光行差とドップラー効果である。(私が書いた、光行差の考察、ドップラー効果、)

 

宇宙がビッグバンによって膨張しているというのも赤方偏移の理由を安直にドップラー効果だと意味づけただけである。宇宙空間の長い距離の間で起こる現象を私たちは知らなすぎる。無限のものが膨張するとか、存在しない四次元とか人類は科学にSFを持ち出している。次元などは存在しない。私たちのいる世界はこの空間だけで、この空間が単に3つの直交座標を持つだけでそれ以上でもそれ以下でもない。二次元だ、四次元だ、多次元だなど科学にSFを持ち込んではいけない。この空間を三次元空間という表現は良くない。

時空も技術的な計算法としての意味はあるかもしれないが、物理的な存在としての意味はない。時間についても以下に書いた。

 

時間については現在物理学のとらえ方自体が違うと感じている。これも何度も書くが時間とは宇宙の背景にあって、過去から未来へとあまねく流れるものではない。

人が現在過去未来をとらえて感じる時間は脳という器官が作り出すものである。光を感じる目という器官が空間、距離をとらえ生存競争に寄与する。同じように高等生命である脊椎動物に限らず、昆虫や節足動物などの多細胞生命は脳を持ち時間をとらえることができる。脳は時間により事象=エネルギー遷移の制御と予測を可能とした。ライオンでも崖のふちから落ちないように体を動かす。ミミズも鳥についばまれて取りこぼされるとくねくねして2度とついばまれないように運動する。脳が体の運動という事象を制御して生き延びようとする。

時間の概念のもととなる存在が、速さである。速さには移動と、伝搬と、変化の速さがある。

脊椎動物などの高等生命はさらに深く事象を予測して事象を制御する。人はその最たるものである。その時に必要となるのが時間の概念である。事象を起こすためには出会いを演出しなければならない。事象とはエネルギー遷移であり、エネルギー遷移するためには人であれ、化学プラントであれ、ライオンがシマウマを捕まえるであれ、関連する物質が出会い、そしてエネルギーを交換しなければならない。

その出会いを演出するための最も重要な手段が速さの把握であり、それを計る時間である。出会いだけではなく変化のころ合いを見極めるためにも時間が必要である。タイミングを計るということである。脳という器官はそれを演出する。そのために都合の良い、周期運動の周期を利用することを学習した。それが時間であり、時計である。

速さがわかるためには物質が必要であることも留意してほしい。エネルギー遷移しにくい物質が有るからこそ、比較ができる。記録も、記憶も物質によってなされることを思い出してほしい。そうして速さがわかり、その速さを測るために時間の概念が生まれる。その時間の概念に対して周期運動の周期を用いて計測する、その計測が合理的に速さを比較でき、技術に活かせるということである。私の時間に関して書いた項も見てほしい。

 

また過去はすべて物質の中にある。記録も記憶も遺跡も化石もすべて物質によってなされる。物質はエネルギー遷移しにくいので過去の事象をその物質の痕跡に残すことができる。高等生命はその物質に刻まれた過去の事象を学習して事象の予測と制御をする。それが現在過去未来である。タイムマシンや時間スリップなどは現実にはありようもない。エネルギーが揺らいでエネルギー遷移して事象が流れている。単に事象が連続している、つまりエネルギーが遷移し続けているだけなのがこの世界なのだ。そこに現在過去未来という認識をつけたのは脳のある生命体だ。

エネルギーの揺らぎの産物である生物や、地球や、太陽や、銀河、銀河群、銀河団には誕生、消滅があっても、エネルギーが揺らぐ入れ物の宇宙には生成消滅はない。科学は、人は、宇宙の開闢とか一点から爆発して始まるなどという妄想を続けてもいいものだろうか。

 

時間の遅れ進みについても所見を述べる。時間は確かに遅れ進みする。GPS衛星の時間を補正してGPSの精度を確保していることからも明らかである。また宇宙から飛んでくる素粒子の寿命が伸びることも知られている。これを否定するものではない。現実に観測されるものは否定できない。また現在科学のように「見かけの」という言葉でごまかすつもりもない。

時間には加速度運動によってその運動系に有るもののすべての時間が慣性系に有るものからずれると考えるのが妥当ではないか。これは相対速度に依るものではなく。加速度運動に依るものである。この考えを確かめるためには地球の様々な緯度にある原子時計の補正のデータを集めて検証する必要がある。その補正の割合とGPS衛星の補正の割合が加速度に照らして一致すれば、あるいは緯度による補正の割合とその緯度による加速度とに何らかの関数関係があれば正しいということになる。この時間のズレは時間系とでも呼ぶべきものだと思う。この時間系の中では原子の半減期さえ慣性系の原子からずれる。おそらく慣性系で時間は最も速く進み、加速度が大きくなれば時間は遅れる。それが指数関数的か直線的かは調べてみないとわからない。

 

人はその時の主流に流されて、その範囲で物事を考えようとする癖がある。周りを、真実を見ようとしない。そのほうが、自分が生きていくのに楽だからだ。そうして裸の王様となっていく。光速不変の原理がその良い例ではないかと思う。アプリオリな物理学も空間を絶対と捉え、時間に関しても新しい解釈をするのに対して、その解釈に合わせてその範囲で物事を考えようとしていると言われるかもしれない。後はどちらが合理的か、科学となって新しい技術を作っていくかで主流の考えになっていく。