2021年末の尿路上皮内癌に罹患してから結構経過した。
「意外と普通に生きてる」。
それに加えて、生者の賑わいを羨ましくも感じ無くなっている。
まぁまぁ体調に不具合があるとはいえ、慣れてと工夫でそれが平常となり適応。
「癌→死/辛い治療=失われる日常→不幸」こんな単純なものでは無かった。
生と死の意味を主観的、客観的に考えた結果。極めて正常なレールの上を走っている事を再認識し、節理に反する蒙昧な執着心が自らを苦しめるだけだった。去年は心が病んでたなぁ「サンタが居るならデスノートが欲しい」とか書いていた、実に笑える😆。
翻って今年は極めて穏やかな気分。普通にしているのが一番良い、何事にも囚われず流されるままでいる状態が正常なんだとハッキリ分かる。そして死とは、主観で時間が停止する事。客観的には他律行動物が消える事。この2点に収束する。それらにまつわる感情や記憶は
生者の時間上での脳内電気信号のみ。そこを緩和する事に全振りすると意外に気分が楽になる。早く呪縛を解き自由な時間を増やして上げるにはどうするか?
それが先達者の出来る第一優先だと思えば、濃くも無く薄くも無いバランスが自他共に大事なんだろうと思う。そこに憂いは無用。
切迫詰まれば、こんな気にはならないのかも知れないが、年の単位でここまで変化するとは思わなかった。
我ながら、興味深い。生きてる限り同じ時節にどう変化するのか記録していこうと改めて思った。
メリークリスマス🎄
「なんでも無い様な事が幸せだったと思う」そんな事はない。
なんでも無い様なことは、その時の「普通」。幸せだと思って居るのは、思った時点の主観でしかない。
何故なら絶対的静止尺で測れることは出来ないから。