偏屈なジジイいには成るまいと心がけてはいる。

 

しかし、社会人となり広く人と接する営業やコールセンターで全ての会話を「XXXX宜しかったでしょうか?」で終わられるととても違和感を感じる。外食チェーンの注文確認ならまあまあ受け入れられるが、丁寧表現で使ってるつもりなのかビジネス上の会話にこれが出てくると、答えに窮する。

「費用を合計するとXXX円で・・」

「部門調整した結果日程は、XX日で・・」

「サンプルを作成しましたが、これで・・」

何故に過去形?確認したいのか結果を伝えたいのか判然としない。「宜しくない」って言えば訂正できるのかも判らない。曖昧で誰が何を決め結果責任がどこにあるかが理解できなくなるのである。

IT関連に未だ片足を突っ込んだままの我が身としては、極めて不明確な「命令(コマンド)」に聞こえる。このような曖昧表現ではマシンは正確に動かん。個人的に同類のソックスを履いた情報と共に出た内容は全て却下。パワハラと言われるのかもしれないが「確認か報告かはっきりしない事柄に回答は不能」と答えてしまう。

マスコミや国会質疑上でも「言葉狩り」の自主規制は強まる一方なのに曖昧構文と矛盾返答にはツッコミがない点で、ニュースの内容にも自分には理解できない内容が多い。これは我の問題なのか・・・・

「日銀は、2%物価上昇までマイナス金利政策を維持する」「総務省の統計で年次CPIは105.7で実質5.7%の物価上昇率です」同様の報道が何の解説もなく流れる。日銀の物価上昇率は微分結果で物価上昇率を定義してるのかなぁ?だとすると区間定義がないと統計がでるのは常に時間的に遅れるから「わかりません」って言えるわな。

「本日の会見で日銀総裁から『2023年度の段階で、インフレ目標は達成してました。金融緩和の実施は即時実行できなかったのですが "宜しかったでしょうか?"』との意向がしめされました」。とか聞く日がくるのかもねぇ😂

言語は生き物、自分の話している言葉の方が「古語」となり、自らが理解できないからと拒否反応を起こす方が見当違いで、刻々と変化している以上、時代に合わせて行べきなのかも知れない。「然もありなん」と流せるようにならねば。