私が子どもを授かりたいと思ったのは5年前のこと。そろそろ30歳になろうとしていた時だった。


 タイミング法からはじまって、子宮筋腫を摘出し、人工授精も6回やって、顕微授精で移植1回で妊娠し、約10ヶ月してから出産。


 その間、Facebookを見るのはやめていた。理由は、自分と同世代の友人たちの妊娠&出産報告を見聞きするのがつらかったから。妊娠中も、友人の出産体験を見聞きすることで、自分の出産に悪影響が出ないようにしたかったから、見なかった。


 そんな私も、ようやく子どもを授かることができ、出産後、子育てが軌道にのってきはじめたので、先日、久しぶりにFacebookを見た。


 たくさんの友人が三十前後で出産していた。帝王切開で二人の子どもを出産した友人、4年の不妊治療を経て出産した友人、20代前半で出産し、すでに2人の小学生のお母さんになってる友人、国際結婚して海外で出産した友人、去年出産した友人...、いろいろな出産の形があった。


 また、たくさんの結婚報告もあった。私の仕事柄、国際結婚にちなむものが多いが、フランス人と結婚し、現在はパリで子育て中の友人もいるし、紛争地域の男性と10年におよぶ交際を経て結婚に至った友人は、紛争地域に自らおもむき、今年中には結婚するのだという。


 そのほか、コロナ前に精神に不調をきたし、自宅療養していた友人は、動物と触れ合ううちに体調を回復しつつあるそうで、これまた一つの人生。

 

 「人生につかれた」と投稿する友人もいる。理由はわからないが、彼女なりになにか「生きづらさ」でも感じているのか。


 Facebook上から名前が消えていた友人もいた。この友人の名が消えた理由は、私がブロックされたというよりも、そもそもFacebookをやめて、アカウントが削除されたからのようだった。

 この友人、年少期に母を病気で亡くし、大学受験の最中でも、仕事で忙しい父に代わって、家事をしたり、弟の面倒を見ていた。

 コロナ禍の2021年、結婚するという連絡をLINEでもらっていたが、以後、連絡を取ることはなくなっていた。彼女もまた、かつての私と同じで、同世代の友人たちの妊娠&出産報告を見たくなかったのかもしれない。あるいは、離婚でもしたんだろうかと、いろいろと考えてしまう。


 でも、コロナ前に病気で30歳になる直前に亡くなった友人もいて、その友人の名前は今も友達リストに残り、中身が更新されることはない。


 名前が消えた友人は、自ら名前を消した、いや「消すことができた」ということは、少なくともその時点では生きていたということ。


 不妊治療しても、妊娠しても、出産しても、結婚しても、病気療養中でも、人生につかれても、行方不明になっても、生きていればそれでいい。


 私が子どもを授かりたいと思っていた間に、いろいろな人生ドラマがFacebook上に繰り広げられていた。


 また、いつの日か、どこかで彼ら彼女らと邂逅できることを信じて、私は生きていく。