幼少期の写真。 | 有爺のご意見箱

幼少期の写真。

幼少期の写真

生まれて何日目だろう?
オカンに抱かれたワシです。
女児は3歳上の姉です。
場所はオカンの実家の庭先ですね。左の門を開けると庭木が植っていた。後ろに写っているのは従姉妹でしょうね。叔父さんの2人の娘のうち、たぶん姉の方だと思います。

もう少し大きくなった海辺でシーソーに乗る写真は幼稚園頃かなあ?毎年夏にオカンの叔母さん、と言っても祖母とはずいぶん歳が離れていてオカンの方が歳が近いせいか家族で仲良くしていました。毎夏、八家という姫路市の南部の海岸の施設へ遊びに行っていた記憶がある。一緒に居るのはやはり姉です。オカンの叔母さんには娘が2人いて妹さんの方が可愛くて、ワシは良くなついていたというかすり寄っていた(笑)記憶があるなあ。

ひとりだけの写真はもう少しあとかなあ。場所は自宅の庭です。この自転車は記憶にないけど、補助輪なしで乗る練習でもしていたのかな。後ろの大きな納屋はいまでもある。
左の内塀の中は前栽で母屋と離れが長い廊下でつながっていて父母とワシと姉は離れに住んでいた。いま住んでいる家も好きだけど、この昔の庄屋づくりの家をリノベーションして住み続けていたら、きっと良かったやろなあ。
でも、そのころには、リノベーションという言葉も発想もなかった。世は好景気で、新幹線が通り田んぼが売れてやがて亡父が家を建て替えた。その亡父が脳梗塞で倒れ、介護するためにバリアフリーで大きなデッキのある設計のいまのコの字ハウスにワシが建て替えた。因果応報。

そして、昭和感漂う一群の写真は小学校の同級生たちとワシです。一番前の列の真ん中。怪物くんみたいなキャップをかぶっています。先生から推測するに、たぶんピカピカの1年生の夏だと思う。場所は潮干狩りで有名な的形海岸。このころ、わが北浜小学校にはまだプールがなく、夏になると水泳訓練に、大塩の塩田を抜けて、途中悪戯に塩を舐めながら、海まで歩いて行っていた。的形の海の水はいまとは違い限りなく透明に澄んでいて、先生が投げる白黒の碁石を素潜りで競い合うように探しては、歓声をあげていたっけ。もう、何人か鬼籍に入った友人はいるけど、ひとクラスだけの小さな学校なので、みんな親戚の子みたいな存在だ。長く会えてない人もいるけど、みんな、元気かな。コロナに負けず、元気でいてください。
今年のお祭りは中止になるかもしれないけど、こんどの同窓会には必ず行きます。前は親父の法事で行けなかったので、こんどは、きっと。

会えるうちに、会っとかないとね。
みんなもう、そんな歳。