私は、3人兄弟の末っ子として育った。すぐ上の次男は3歳年上、長男は7歳年上だった。

 物心ついたときには長男も次男も小学生だった。私は体力的にも精神的にも彼らに服従するしか手が無い環境で育った。

 長男は暴力的で威圧的な父と放任主義的な母を利用して、家の中の出来事が全て自分の思う通りになるように緻密にコントロールしていた。両親は長男に絶大な信頼を置き、自分達が仕事で不在中の家庭内の全権を長男に任せていた。

 私はまだ幼く末っ子だったので、2人の兄の言うことさえ聞いていれば自分を守ることが出来た。割を食ったのは、次男だった。私と違い長男との年齢が近いので、素直に言うことも聞けなかったのだろう。長男は次男を思い通りにコントロールするために、次男を肉体的、精神的に虐め抜いた。その事実を私が両親に話さないように、長男はそういう時だけ私に優しくしたり、小遣いをくれたりした。私はそのような施しは嫌だったが、それを断ることは出来ない立場だった。私は長男に笑顔で忠誠を誓った。

 次男のストレスは溜まり、その矛先が年下の私に向くことも多かった。私は長男の威厳により庇護されていることを誇示し、また末っ子として両親をうまく利用して次男の火の粉が降ってこないように策を練った。

 つまるところ私たち兄弟というのは、単に同一の両親から産まれたという生物学的な縁でしか無かった。お互いを尊重し協力し合うなどということは皆無で「いかに自分が損をしないか、割を食わないか」だけを毎日考えていた。年齢的序列から搾取される可能性の高い私は、あらゆる策を練って身の回りの物を守ったが、当時は個室も持っておらず大体の物は簡単に搾取され踏みにじられた。

 ストレスを溜め込んだ次男は、特異な行動をとることが多かった。人数分に分けられている菓子や食事などを私が不在の間に全部食べてしまうなんて言うのは序の口で、勝手に人の私物を探るという行動をとった。日記などが読まれてしまったり、鍵のかかっている貯金箱から現金を抜かれたりもした。あまりに酷いと抗議しても、絶対に謝罪しなかった。

 兄弟全員が義務教育を終えたころになると、搾取はさらに酷くなった。私が大切にしていた中学の入学祝の自転車を、次男が貸してほしいと言うので嫌々ながらも貸すと「盗まれた」と言って帰ってきた。様子がおかしいので良くよく調べてみると、どうやら売って現金に換えたらしいということが分かり、私は激怒した。それでも次男は謝罪一つしないので、私は包丁を持ち出して次男を追いかけまわした。本当に殺意を持って包丁を振り回したら、身の危険を感じた次男は初めて謝罪した。

 個室をもらってからも私の服、靴、本、小物などは、勝手に消えた。これは次男だけではなく、長男も同じように搾取した。私の買ったものは、勝手に持っていって良いという価値観を2人とも持っていた。お気に入りの靴や服、ベルトなどの小物は、自分が使おうと思う肝心な時に無かった。サングラスや書籍も良く消えた。そして、次に見かけたときは汚れているか壊れているか、もしくは物自体が消えて無くなるかだった。

 ある日、警察から電話が掛かってきた。次男が自動車で大きな自損事故を起こし病院に救急搬送されたとのこと。電話を受けた父は大慌てで病院に向かったが、私は冷静だった。すぐに自分の衣類をチェックすると、買ったばかりでお気に入りだった麻のパンツが見当たらなかった。間違いなく、次男が勝手に着ていったのだろう。意識不明なほどの重篤な事故だそうで、きっと衣類も血に染まり破れ、使い物にはならないだろう。

「死ねばいいのに」。……私は心の中で、そうつぶやいた。


私のインナーチャイルド 完